キャリアを振り返る(長い)
2024/05/18
こんばんは、お元気ですか。僕は仕事を定時に止めて急いでとりきに行って一人で鶏を食べてビールを飲んで外に出て108分くらい散歩して帰ってきてシャワー浴びてアイス食べてワインを飲んでいます。金曜日ですので。ところで僕は今週誕生日だったんですけど、なんと不惑を迎えました。不惑の余裕を迎えました。不惑の余裕というのは椎名林檎 (生)林檎博'18 の副題なんですけど、僕はこのライブのためさいたまスーパーアリーナくんだりまで行ったんですがあ~楽しかったな~つって帰ってきた次の日だったかその次だったか忘れたけどめざましテレビかなんかでこのライブのこと一瞬やっててそこで宮本さんがお出ましになってる様子が流れており、僕が行った日には宮本さんがおでましにならず画面内の宮本さんと林檎が歌うみたいな感じだったので、僕は大変なショックを受けて、未だにこのライブのブルーレイの封をあけていません。なんでそんなことするの林檎、って思いました。話がそれました。そう、なので不惑を迎えたんです。なので、ちょっと自分の人生の、キャリアの部分、振り返りをしてみようかなと思ったので、します。僕は大学に行ったんですけど、なので新卒で就職をしたんですが、成田空港で国際航空貨物の仕事をしました。輸出課にいました。はちゃめちゃに忙しい職場で、朝6時から働き始めてご飯も食べず日が暮れるまで仕事し続けて帰って次の日また午前4時くらいに家にタクシーが来て連行されるみたいな生活をしていて、はちゃめちゃに痩せてました。しかもまじで一秒も気の休まる暇がなくてトイレに行くのもすきを見てダッシュで行って、でも帰ってきたら自分の席の周りに人だかりができて無線がなってるみたいな感じで今思うと狂ってんなという気がします。でも人々はめちゃくちゃいい人々だった気がします今思うと。この職場はクレイジーへの適性を持つ選ばれし者しか残れなかったので僕も2年弱で辞めました。このときに学んだことで今活きてることはわりといろいろあるんですけど、その中でもまったく役に立たない知識として、当時某NAが就航していた都市の3レターは今でも覚えてるんですが、街なかでCDGってどでかく書かれた服を着た人を見た際(あ、あの人シャルル・ド・ゴール空港ファンなのかなー、フフフ)と思っていた時期がありました。せっかく高い金払ってコム・デ・ギャルソン着てるのにシャルル・ド・ゴール空港ファンだと思ってしまうなんて悪いことをしました。で、空港辞めてデザインの専門学校の夜間部に行ったんですけど、これはまあいろいろ理由があるが端折ります。で、学校のバイト掲示板に貼ってあったところで雇ってもらって昼間は10:00-18:00で企業の社内報を作ってる会社で働いてました。最初配属されたのがショムニみたいなところで、他の部署はすべてフロアぶち抜きの広い部屋に全員いるのにショムニだけ廊下を隔てた狭い部屋にあり、印刷の知識はあるけどプライド激高オタクで皆にわりと嫌われてる課長みたいなわりとだいぶ太った眼鏡の男の人と、声がめちゃくちゃダンディでなぜかショムニの一員なのに社内の人々から丁寧に扱われている眼鏡のロン毛めの男の人と、気が小さい感じで、でも仕事は真面目にやってたまに僕に東急沿線で配ってるフリーマガジンみたいなのをくれたりする僕を影で王子と呼んでいたオタクめの女の人と、徳島弁しか喋らないめちゃくちゃ態度でかくて人々に一目置かれてるけど基本シュレッダーしかかけてないおじいさん、と僕、で勤務していて、僕は基本やることないので、最初は数カ月間オタク課長に言われて写真をパスで切り抜いては消す、みたいな賽の河原みたいなことしてたんですけど、今思うとなんで気が触れなかったのか不思議ですが成田で地獄にいたので全然平気でした。で、そのうちおじいさんのシュレッダーの手伝いを申し出たりしてたらおじいさんにシュレッダー道の弟子として認められて「おい、◯◯くん!いくぞ!」って言われて後ろから段ボール持ってついて行ってショムニじゃない方のフロアの各部署の脇に積まれている不要な紙(出版系なので校正とかするのでめちゃくちゃ紙がでる)を回収してシュレッダーをかけまくる仕事ができました。2つあるシュレッダーの片方がオーバーヒートすると冷やしながらもう片方でひたすらシュレッダーをかけまくりました。よく気が触れなかったなと思いますが(以下略)。そのうちショムニに暇なやつがいるということがショムニ外に知られることになり、ちょこちょこ他部署の仕事をもらえるようになりました。おつかいとかも多くて、取材で借りた模型をどっかの個人の家に返しに行くとか、あとは企画のための取材のために飲食店に電話したアポ取るとかもしてました。そのうちとある部署が僕にたくさん仕事をくれるようになって、校正とか修正の反映とか、小見出しつけたりとかそういうことをするようになり、とうとうショムニからその部署に席が移ることになりました。おじいさんはちょっとさびしそうでしたが、どこか誇らしげでした。弟子なので。で、部署を移ってからはずっと年下の正社員男性ライターズの手伝いみたいなことしながら働いて、周囲が残業しまくりのなか、定時きっかりに上がらせてもろて学校に行ってました。まあバイトなので、ということはあれど僕が学生であることをめちゃくちゃ尊重してくれて皆さん超いい人たちでした。で、2年が過ぎ、学校を卒業というタイミングでそのまま就職しない?って言われたんですけど、デザイナーの空きがなくて、しかも僕がライター的業務でわりと評価されてたのもあって、まずはライターやりつつそのうちデザインもできるようにするからって言われたんですけど僕はわりと頑固マンなので、デザインやりたいのですんませんと断って入社しませんでした。でもここで出版関連の表記ルールとか校正のお作法とかインデザインの使い方とか一通り身についたの今広報の仕事もするのでめちゃくちゃ役に立ってます。で、デザインの会社を探したんですけど、デザインの会社って有名美大卒とかじゃない限り新卒で広告代理店とか行くの無理という現実があり、基本経験者しかやとってくれないのでめちゃくちゃ仕事見つかりませんでした。転職サイトとかで応募しては落ちまくる中で、ある日ハロワに行ったときにあった未経験可のデザイン事務所に応募して、面接行って、なんか課題作らされたりその場でPhotoshopで既存のサイトのデザイン丸写しで作れるか試されたりして、働くことになりました。某国立大学の裏口の踏切わたったとこのマンションの一室だったんですけど、上司兼取締役みたいな人がデザイン兼営業兼ディレクションやってて、目がめちゃくちゃでかくて調布の半グレみたいなバックグラウンドでなんかめちゃくちゃ恐ろしかったです。今でもこの上司のトラウマのせいで御飯食べるときにめちゃくちゃ汗かいたりします。で、この会社はWebも紙もやってたんですけど、コーディングやってたのが僕より5歳くらい?年上の女性で凪のお暇の主人公?(読んだことない)みたいな、あのアフロほどチリチリではないがどういう仕組みでそのボリュームと形維持してるの?って髪型してました(かつ茶髪)。僕は基本的にhtmlとcssの書き方はこの人から盗みました。たまに教えてくれましたけど基本見て盗んでください、みたいなスタンスだったので。この人はわりといかれてて、仙川から毎日チャリで通ってたんですけど、毎日だいたい熱があるって言ってました。多分なにか決定的に見落としてることとかがあるタイプの人間だったんですけど、まあいい人でした。当時32歳くらいだったと思うんですけど、ダイバーシティ東京に友達たちと行ったけどつまんなかったからそのへんの外に座って缶チューハイ飲んできた、とか妹ととスキー場が夏場芝生になっててすべってジャンプするやつ行ってきた、つってて、なんか熱があるし腕が痛いんだよね、みたいなこと言ってた数日後ギプスしてきて「骨折れてた」とか言ってました。でも毎年としまえんのプールに行くのを楽しみにしており、職場の下にあった商店街で夏祭りやってたときはやきそばとかたこ焼きを買ってきてくれて「晩ごはん食べましょう!」とかいう感じの憎めない人でした。てか普通にいい人でした。僕が辞めるときもシリコンレンジ調理のやつをくれました。「はい、餞別、◯◯さんごはんちゃんと食べたほうがいいよ」みたいな感じで。上司はまじキチでしたが、たまに常人のようなふるまいをすることもありましたがやはりキチガイでした。あと上司の調布時代からの不良仲間みたいな人がいましたが、コーディングがあまり得意じゃなくて、辞めてました。あとで上司が僕と二人で仕事してるときに「◯ちゃん(辞めた友達)はコーディングへたくそだからクビにした」みたいなことを唐突に伝えてきて、キチガイムーブやめろと思いましたが、親友をクビにした良心の呵責に耐えられず僕に吐露したかったのかもしれないです。そういう意味ではまだ人の心を残していたのでしょう。ここは僕10カ月くらいで辞めたんですけど、まじでめちゃくちゃスキルが付きました。てか毎日アホみたいにてっぺん回るの当たり前みたいな感じで、土日やGWも働いてたので、普通の会社の10カ月の2.5倍くらいは働いてたかもしれないです。精神と時の部屋みがあります。htmlもcssも書けるようになったし、photoshop(当時はphotoshopでデザインして切り出してコーディングが主流でした)もwebでの使用方法はもちろん、某有名アパレル商社の仕事とか、北欧生地の店の仕事とかがあり、物撮りしまくって修正しまくったり、あとは毎日女の子をwebに挙げ続けるキチ上司の友達業界人(墨がやばすぎて夏でも長袖着ている)の仕事で写真修正しまくったりしてたので、レタッチもできるようになりました。ちなみにキチ上司の父親が有名なカメラマンだったので、キチ上は写真のテクニックとか半端なかったです。謎のピアニストとかのチラシとかも作ってたのでイラレや印刷のスキルも付いたし、カタログづくりとかやってたのでインデザインも使えるようになりました。とにかくいろんな経験させてもろたので、めちゃくちゃスキルアップできたのはありがたかったです。ちなみに普通デザイン事務所とかってJ-WAVEとか流しながら仕事してるイメージありますが、ここはキチ上司がヘビメタ大好きだったので毎日超クソバカデカ音量でヘビメタが鳴り響いてました。鉄筋コンクリートで下の階に気が強めクセ強めの大家のおばあさんが住んでましたが、キチ上司との対決は避けており、ヘビメタ祭りでした。で、人間らしい生活したいなと思って辞めることにしたのですがただでは辞めさせてもらえなそうだったので、健康診断に行ったミッドタウンのクリニックで、親身になって話を聞いてくれた女医さんが「私にできるのはこれくらいだけど」つって書いてくれた診断書みたいなのに「辞めないと体壊す、おわる」みたいなこと記してくれて、それをもってキチ上に「辞めます」つって辞めさせてもらえました。キチ上はなんか「◯◯くんは、真面目にやってくれるし期待してたけど俺のやり方が悪かったね」みたいな泣き落とししてきましたが辞めました。辞めるときに社長に挨拶にいきなってキチ上に言われたので、赤坂にある雑居ビルにいきました。この会社は社長と呼ばれるおじいさんが赤坂におり、まったく個人プレーをしていて、取締役であるキチ上と凪のお暇と僕は制作会社みたいな感じで意味不明な組織だったんですけど、いちおう社長とよばれるおじいさんのところへ行って(会うの2回目)、めちゃせまな一室に座らされて、なんか話されて「まあ人生はどれだけ長くやったからじゃなくて、何をやったかだからな、君はすごくたくさん経験積んだから今後も職は困らんだろう」みたいな予言者めいたことを言われて(いやあんた僕に会うの2回目やん)と思いましたが、今思えばめちゃくちゃあのとき身につけたこと活きまくってるので予言者さすがだな、と思います。ちなみにこのおじいさんは何の仕事やってたかというとwebとかは一切やってなくてイベントの仕切りみたいなことやってて、凪のお暇に聞いたところやべー新興宗教とかマルチのイベントの運営請け負って稼いでるって言ってました。さすが仙人みたいな佇まいしてただけありました。ちなみ凪のお暇はこのおじいさんが昔いた会社のときの部下だったらしく、会社を移ってからもそこの会社で入ってた健康保険に加入したままでした。僕は国民健康保険に入らされてたし、ママチャリで通勤(終電間に合わないので)してたのに交通費5万円毎月でててその分給料が減らされてたので、今思うとほんとにやべー会社だったなという気がしますが、そもそも入社時に「パソコン自作できる?」ってキチ上に言われてできるわけないのでできませんつったら舌打ちされつつもともとあったPCを使うことになり、その際、海賊版のソフトウェアを入れろと言われ、シリアルキーはkeygenでググって調べろと言われた時点で完全にアウトだった気がしますが、まあやめてよかったです。で、プーになったのですが、このとき多分27、28歳くらいで、完全に一寸先は闇というかすでに闇だったんですけど、なんとか見つけた次の会社で、僕Webデザイナーとして入社して、上司はWebディレクターだったんですが、入社したら上司はphpしかわからんみたいなやつで「は?」となり、丸投げでサイト作りをさせられることになって、客との打ち合わせからワイヤーフレームからサイトマップから作ったりしてたんですけど、この上司既婚だったんですけど、隣の席にいて、なんか仕事のこと聞くと、別に必要ないのにPCの操作とかをする感じで椅子ごと僕の方にきて、なんかこう足が?足がこの状態でくっつく必要性?あります?マウスを握る僕の手に、あなたの手が触れる必要あります?みたいな事象が起こることがあり、悪魔崇拝みたいなゴツゴツした結婚指輪がきめえなあと思ってました。で、このセクハラ無能上司は仕事をとる能力も皆無だったため、とある事情でダブル名刺持ってた某最大手広告代理店グループ会社のクライアントの会社に僕が居座り営業することになり、用もないのに共有スペースに居座る謎の人間として過ごしつつ、自社の案件をやる際には隣のビルの一階にある待ち合わせソファみたいなところに行って仕事を済ませてまた居座り営業の場所に戻り虚空を見つめるみたいなことをしていたら、そのうち「なんか謎の暇なやつがいる」と聞きつけた部署の人から仕事を振ってもらえるようになり、某銀行のオンラインバンキングのテスターみたいなことをやってたら、他の人にも仕事を振られることになって百貨店のおせちカタログ作ったりしてました。この流れで僕は完全に常駐みたいな感じになり、派遣会社に登録したわけでもないのに他所様の会社で席をお借りして意味不明な仕事することになりました。意味不明過ぎましたが他に仕事もないため血の涙を流しながら意味不明なことをやってるなかで、たまに別件で悪魔崇拝上司がくることがあり、共有スペースに僕を呼び出したかと思えば、メールの書き方がおかしいみたいなことを延々とネチネチと言ってくるようになりました。(皇族宛かな?)みたいな重箱の隅つつきをくらいながら、はい、はい、と大人しく従っていると、こんどは悪魔崇拝がやってるまじでしょうもない仕事(世の中には大企業案件でまじで金ドブのしょうもない仕事があることを知りました)で、マニュアルに載ってる郵便ポストのアイコンどちらがいいか、みたいなことを聞かれました。ドット絵みたいなアイコンが2つあり、心の底からどっちでもいいと思ったし、全世界の民にインタビューしても絶対99%がどうでもいい、と回答する問いでしたが、一応考えるふりをして、それっぽい理由がつくようにして、「こちらがいいと思います……」と答えたら悪魔がわざとらしくため息をついて「◯◯に訊いた俺がバカだったよ」とうすら笑いを浮かべながら言われて明確な殺意が生まれましたがなんとか押し殺しました。で、この悪魔はまじで無能なのでこのしょうもない仕事しか仕事がないんですけど、この仕事もこの悪魔は前職にいた際にしていた仕事を勝手に奪い取って独立し、知り合いのつてで当時の会社の社長に雇ってもらい会社の仕事として請け負う、という形で前職から裁判起こされてたりしたんで、同じダブル名刺で、常駐先に席があったのになくされてしまった自分と、常駐先でなんか知らんけど仕事を頼まれるようになって席を作ってもらった僕を比較して妬み嫉みでこういう悪魔的行動を取ってたんじゃないかという気がします。まあ悪魔にはたまにしか遭遇しなかったので、おせちカタログ作ったりして仕事してたんですけど常駐先にも上司がおり、その上司から「◯◯さん(僕)に、100万円/月(仮)払ってんだけど、パフォーマンス低いよね!?」みたいなことを詰められる中(あれ、わし100万円(仮)でここに貸し出されてる感じ?)となりつつ話を聞くとどうやら悪魔が僕の経歴をめちゃくちゃ盛りに盛ってスーパーディレクションができる人材みたいな感じで貸し出していることが発覚し、すずめの涙ほどしか給料もらってなかった僕は(悪魔ふざけんなよ)となりつつも、会社員としては常駐先に約束どおりのパフォーマンスを提供できていないことを申し訳なく思いつつ、落ち込みつつ仕事をしていた日々のなかで、僕が元気がないと思ったのに気づいたのか常駐先の上司が珍しく、初めて飲みに誘ってきたので、正直くっそ嫌だったけどこれも営業の一部、仕事の一部、と思って新橋のガード下あたりの居酒屋に行って飲んでると常駐先上司が「ところで、◯◯さんは、尊敬する人っている?」って訊いてきたので、僕はしばし考え、「手前味噌ですが、やはり自分を育ててくれた母のことを一番尊敬してます」という回答をしたところ、うんうんと頷きつつ「俺が尊敬するのは、◯◯◯◯って人なんだけど、知ってる?」と某新興宗教会長の名前を出されて(そのパターンか~~~!)となりました。もちろん知ってましたけどアホのふりして「いや、知らないですね……」無知ムーブをかまして、その後の勧誘をかわし、その後まもなく派遣元(?)の会社ごと辞めました。まじであれですよ、人を追い詰めて弱らせた状態で勧誘してくる手口ですね。まじでほんとにクソどもしかいねーのか世の中はと思いました。僕が17歳からインターネッツに入り浸ってたから新興宗教のことなどもひととおり知ってたものの、なんも知らん人はああやって勧誘されていくんだなと思いました。で、僕が辞めるってことになったとき派遣元(悪魔がいるところ)は、自社に戻ることさえ許さず社用携帯も常駐先のビルの一階で回収みたいなクソムーブしてきたんですけど、なぜか常駐先の部署が送別会をしてくれて、謎でした。そこで常駐先の部長(なにかトラブルがあるとすぐ盛塩をする)の隣に座ることになってずーっと気を使ってたんですけど、いい感じに酔っ払ってきたこの人が「◯◯くん(僕)は真面目で評判良かったから、今後もなにかあったら連絡してきなさい。でもこちらからは連絡しないからな、君がお願いする立場なんだからな」みたいな何が言いたいのかイミフみたいなことを言われてイミフwwwwって心のなかで思ってたんですけど、この人は某最大手広告代理店の一レイヤー下の子会社出身の人なので(僕の当時の常駐先は孫会社)、気位が高かったんだと思います。なお一度も連絡したことはないです。で、またプーに戻ってしまった僕ですが、ちょうど30歳になる間際でした。まさに今から10年前くらいです。もう終わった……、人生完敗じゃ……ってなってたんですけど、マイナビ転職とかで職探しをして、貯金がもう底をつきそうな中、応募して採用されたの前職でした。なんかもう書くの疲れてきたし誰ももうこのあたりまで読んでねーだろって感じなんでサクサクいきますけど、この会社が外資系で、僕はこのときから外資系勤務、およびマーケティングを専門として人生を始めることになりました。僕が採用されたのはwebと英語ができるとみなされたからです。実際にはwebも英語もプロフェッショナルに比べると趣味みたいなものだったかもしれないですけど、両方できる人間が日本にはあまりにも少ないので、無名外資系企業がそういった人材を獲得することはほぼ不可能なので、僕が採用されるに至ったというわけです。おもしろくない高田純次みたいな25歳上の上司と二人の部署だったんですけど、最初は上司も僕のことをめちゃくちゃ軽んじてて、僕の前任者がめちゃくちゃ人気者のイケメン社内から惜しまれまくりつつ辞めた、だったこともあってわりと四面楚歌だったんですけど(僕が入ることで前任者が出戻りする可能性が絶たれるため)、1年半くらい冷や飯食わされつつコツコツ仕事してたら、グローバル的に一番でかいイベントを日本でやることになって、その仕切りを成功させたら社内の評価が一変して、国内はもとより本社からも信頼されるようになってめちゃくちゃ仕事がしやすくなりました。で、それを担保にマーケティングオートメーションを導入することを許可されて予算をもらい、それを日本でやったらグローバルの導入につながることになってあれこれアドバイスを求められる感じになって、わりと仕事がしやすくなりました。で、さっきのでかいイベントが成功だったことに味をしめた本社が2年後、また日本でやることになって、前回は東京だったのが、このときは京都でやることになり、予算も倍以上になって、もう本当にめちゃくちゃ大変で、このときの激務のストレスのせいでできた吹き出物の跡が今も両頬に残っており、それまではわりとツルピカお肌だったのに本当に悔やまれるんですが、でもこのイベントも大成功でわりと仕事がしやすくなりました。で、高田純次上司が定年を迎えるにあたって、僕にマネージャーを禅譲することに合意していたにも関わらず、本国人びいきの人事によりマーケティングの経験が一切ない他部署の本国人が僕の上司としてすべりこみマネージャーを兼務することになったので、ブチギレて辞めることにしました。高田純次上司はわりと落ち込んでて、社長(本国人)に逆らえず僕との約束を反故にしたことに後ろめたさを感じている様子で、なんかその後も僕が辞めて、やる気なく消化試合みたいに退職したっぽいです。で、今の会社に入って今4年経ったんですけど入社と同時にコロナ禍が始まって、まじでいろんなマーケティング施策の制約があるなか、現職場の社風が独特すぎてマーケティング施策がガラパゴス状態の中、重箱の隅つつき小姑タイプなのに肝心なときはアシスタント的立ち位置に収まろうとして僕に責任を押し付けて英語も話そうとせず自分の半径30cm以内の仕事しかせず、にも関わらず社歴が長いことを盾に僕の行動に制約をつけまくろうとして足を引っ張る同僚年上女性に悩まされて鬱一歩手前みたいになり帯状疱疹を発症しつつ生きていたんですが、コロナ禍も明け、同僚がやろうとしなかったため僕が一手に引き受けていた海外勢との仕事の成果が少しずつ認められ、役職を得ることにより同僚が部下になり、マーケティング素人の他部署兼務上司が退いたことにより、やっと最近マーケティングの仕事を再開することができるようになってきた、という感じです。約17年くらいの社会人としてのキャリアを振り返ってみると、いろいろあったなあと思いつつ、それぞれの職場で経験したこと、わりと全部今現在も仕事に活きてるのがすごいなあと思います。経験したことが無駄になってなくて、例えば前職でイベントやってたことも、現職で去年全く別の部署が困ってた際にイベントの経験があるということでカンファレンスの仕切りをサポートできたことで一気に社内のおぼえがめでたくなりました。世の中には飲みに行ったりとかのコミュ力で社内の評判を上げる人々もいますが、僕はそういうのが一切できないタイプなので、仕事で信頼を勝ち取るしかないと思っています。でもそのためには仕事でパフォーマンスを見せる機会がめぐってこないと力を発揮することはできないんです。チャンスっていつくるかわからないし、自分でコントロールできないけれど、眼の前にきたときにわしづかみにするためには瞬発力と、それまでに経験を培っておくことが本当に大切だなと思います。経験してきたことを、ここぞという機会に使うことにめぐまれることはラッキーだなと思います。そういう意味では僕はめちゃくちゃラッキーだなと思います。ミクロで見ると地獄かな?みたいなキャリアなんですけど俯瞰してみると、全部活きてる感じがします。なので、僕がいいたかったことはですね、今20代とか、もしくは30代前半とかで(もうこの世の終わりかな……)みたいな状況に陥っている人がもしいたら、僕もなんか地獄にいたけど、今マシになったよ!ってことなんです。もちろん僕も今後どうなるかはわからないですけど、若い人々が悩んでたりすると、応援したいなっていう気持ちが、とてもあります。というわけで長かったけど読んでくれてありがとうございます。こんなに読んでくれたあなたは素晴らしいです。
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