フライデーハイボール(濃いめ)
こんばんは、フライデーナイトファンタジー、いかがお過ごしですか。僕はハイボール(濃いめ)500mlを飲み終わったので焼酎ハイボール500mlを飲んでいます。これらね、カロリーも糖質もない雰囲気なんでね、なんの罪悪感も芽生えようがありません。なんかもう仕事がクソすぎてクソがって感じで本日朝イチから最悪な気分でおったんです。午後はなんかわからんけど香港とブリズベン同僚と1時間半も英語でミーティングする羽目になってもう集中力続かんわって感じになったのでこっそりWindows+Gで勝手に録画し始めてPCめちゃ重で映る自分の姿がコマ送りになってるの見つめてました。あとでわからんことあったら見直そうと思って(なお見直した試しなし)。いやまじでさ、英語ネイティブさ、楽すぎん?ちょっともう楽しすぎやろ、こちとら1万2000枚の特殊装甲とATフィールドがあるといっても限界がありますからね。ところで僕は合唱曲が好きなんですけど、自分が通ったもの、兄が言ってたもの、世間的に人気なもの、を聴いてるんです。未成年時の兄の影響というのは甚大なものがありますからね、僕が野生の馬を好きなのは兄が「野生の馬歌った先輩たちのクラスが優勝した」って言ってたのを聴いたからですからね。ちなみに兄は僕より5歳上なので中学とかぜんぜん被ってないんですけど、いわゆる陽キャというかリア充の軍団の人間的生物だったんですよね。なので兄が卒業して2年?経ったあとに中学に入学したらまだ残ってた先生とかに「あら◯◯くんの弟ね~」とか言われたりバスケ部の後輩だったぽい3年生に「◯◯くんの弟!?」みたいな感じで言われて陰キャの僕はまあまあ嫌だったですね。比較されますからね。兄は顔がいいんですよね、顔がいいんですよ。それだけでもなんか引け目を感じるのに現実主義的側面があったので小学校の時とかいっしょに風呂入ってると「お前はブサイクなのでそれ自覚して振る舞ったほうがいいぞ」というようなことを親心(兄心)で言ってきてたのでまあ言いたいことはわかるが世の中オブラートに包むっていう手法があってだなという気がしないでもないです。で、僕本日なんだかもう本当にどんぞこ人生みたいな気分だったんです仕事やら何やらで。で、わりと1日中家の中にいたので、とりあえず夕方、外の空気を吸おうと散歩に出たんです。僕は外の空気のリカバリー効果を知っているからです。外は素晴らしいです。問答無用で肌を撫でる風の温度や速度や匂いで自分がコントロールできない神経が活発に貪欲に季節を知覚したりしてくれますので、嫌でも自分がこの地球の一成分に過ぎないということを本能的に思い知らさせてくれますので、外は最高です。そういえば合唱曲、僕はひとつの朝とか信じるとかCOSMOSとかは自分では通ってないんですよね、でも人々がいいよっていうのでいいのかなって思ったりします。僕の大学時代の女の先輩が静岡で中学校の先生やってるんですけど、年に一度くらい、年末あたりに互いの中間地点の茅ヶ崎とか藤沢とかあたりで会ってご飯食べるんです。僕は飲むんですけど先輩は地元の駅まで車で来て電車で来てる派なので飲まないんですけど、こういう関係っていいと思いませんか。ちなみに先輩からは2回くらい大学時代に告られたんですけど辞退申し上げて僕はゲイなのでというとこをお伝えしているので、それ前提で会っています。で、先輩が毎年何年生をうけもってるか知らないんですけど、ずーっと青春の舞台の中に出演者として存在してるんですよね。なんかこう尊いなあって思います。ただ仕事はめちゃくちゃ大変そうで部活もあるしほぼプライベイトがないみたいなので、よほど好きじゃないとやってけない仕事だなと話聞いてると思います。あれ、なんでこの話になったんだっけ、まあいいや、とにかくこういう先輩がいるよってことなんですけど、あ、そうだ、この先輩と合唱曲の話になったときに「信じる」って曲がいいよ、って教えてくれたんだった。そうだった。というわけで、そう、僕本日外を歩きながら本当にくらーい気持ちにあふれててあれこれ考えて歩いてたんですけどそういうときってよくも悪くも普段見過ごしてるというか見ないようにしてることとかにもスポットライトが当たる感じになるんですよね。で、まず脳からの議題として挙げられたことが、さびしいね、だったんです。これはですね、僕がふいにいにしえのFacebookアカウントをですね、仕事の関係で自社のsocial media投稿の確認のために開いてしまったことが原因なんですね。大学時代の友達男性(男友達で唯一カミングアウト済みノンケ)で、コロナ禍前まではわりと一緒に飲みに行ってた人物が、コロナ禍初期と明けごろにお子さんがお二人お生まれになってですね、完全に僕とはまったく違う人生のステージで、充実した日々をお過ごしになっているのを目の当たりにしたんですね。僕はまあ、子どもはもともと持てないし、ということは重々承知しておりますし、お子さんがおられる友達もいますので、別に子どもがいる云々でどうこうということではないんだけど、なんかこう、伝わりますかね、なんかこう置いていかれちゃったなって感じがですね、理屈じゃなくて、したわけです。これが結構ね、さよなら……、って感じがしましたですね。次に脳内会議の議案として挙がったことが『わりとずっと見て見ぬふりして現実に向き合わずあなたは無駄な時間を過ごしましたね』ということなんですけど、これはですね、僕はアンドロイド使いなんですけどGoogle photoさんがですね、何年前の今日みたいなことを唐突に突きつけてくる事象があるんですけれど、それを恐る恐る見るとですね、5年前とかの時点で、既に僕はひとりで散歩してソフトクリーム食べたりしてたんです。すでに関係が破綻しているというかいびつな形というか週に一度うちで晩ごはん食べるだけみたいな感じになってたのに目を背けてたんですね。でも週一でも先方がくるのはいいことなんじゃ的な意見も出たのですけれど先方は自由業てきな感じなので、人間と話したりすることがないんですね、かつそんなにめちゃくちゃ社交的なわけでもないので、精神の安寧のために週一で気遣いや遠慮の必要ない人間と話す機会として設けていたに過ぎないという視点もやはりあるわけです。で、記念日などもおろそかになる中で、先方がどのように行動していたかは全く把握できておらず、とはいえ普通に考えて、普通に考えたらやることやってるということがあるわけです。というのもまじで僕は なぜかわからんけど、田舎の山の谷間の川のほとりで生まれ育ったからかわからんけど、やることやってるみたいなのってどこかフィクションだと思ってるフシがあり、というのも自分がそうではないからなんですけど、僕もツイッターなどで人々と交流し、お話をうかがうなかで、この世の中でフィクションの世界に生きてるのは自分だけだったのでは、という結論に至ることがあり、というわけでこの数年を振り返るとなんて僕ってみじめだったのかしらという意見で全会一致これにて閉会、になってしまい、僕は目黒川沿いを歩きながら(今日はわりとドブくせえな)などと思っていたわけです。桜も散りかけ葉桜になっている川沿いを幸福に満ち溢れたオーラを撒き散らし歩くカポーたちを早足で追い越して帰宅しました。でもあのカポーたちだって永遠じゃないわけじゃないですか、毎朝起きて聞こえるすずめのさえずりは1年前のすずめとは違う個体だろうし(雀の寿命知らんけど)、流れる川の水だって昨日とは違うわけですし、ベビーカーに乗ってる赤子はいつの日でも見かけますがあっという間に成長しているのを知らんだけであって、自分以外の生物は基本舞台装置に過ぎないと捉えているからか、それらを普遍的なものとして比べてしまい自分の変化の無さにくよくよしちゃったりなんかしてなんかもうやだな~って思いつつスーパーでハイボール(濃いめ)と焼酎ハイボールとたくあんを掴んでセルフレジして帰ってきて飲んで食べて今にいたるわけです。でもさ、フォロワーさんでさ、本当に尊い、サステイナブルな関係をお築きになっているカポーいくつかおられるんですよね、その方たちを見るに、あれ、なんかやっぱあれ、おかしいな? とならんこともないですが、よそはよそ、うちはうちですから、僕はアプリで会った人もうまくいかないし、仕事もクソだし、金もないし貧民窟でとなりのおっさんの咳がうるさすぎるたびに「うるせえ!!!!」って叫ぶ日々ですけれど明日は土曜日ですしGWは30、1、2有休とって連休爆誕させたし(なお予定皆無)、明日はひさしぶりに一人カラオケ行くか電子ピアノ引っ張り出して唯二指が覚えてる君をのせての伴奏か戦メリでも弾いたりなんかしようかな~って思っています。
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