Augustsky

30代ゲイが日々のことを書き綴るブログ

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遺伝子の保険的な

気づいたら6月ブログ書いてなかった、ので書きます。サーバ代もったいないですので。皆様いかがお過ごしでしょうか。お元気でらっしゃいますでしょうか、僕は一歩前、って感じでしょうか。ワインを一瓶弱空けているところです。ゲイであることのよかったぽいこと悪かったぽいことってあるじゃないですか、いきなりなんだよですけど、あるじゃないですか。僕はゲイであることで異質だったと思うんです、地元の同級生でも親族内でも。僕がゲイじゃなかったら今頃確実に地元で就職して現場仕事して子供3人くらい居て一番上は18歳くらいだと思いますし、休日は釣りかゴルフやって家族とイオン行ってこっそり開き直って不倫してると思います。でも僕がゲイであるというその一点ですべて変わってしまっておるわけです。これはすごいことだなと思うんです。万が一、この世界が数百年前から同性愛普通、みたいな感じだったら、僕はゲイでありつつ地元で釣りかゴルフやってたはずなんですけど、そうではなかったばかりに僕は東京にいるわけです。で、僕は英国の大企業の日本支社で働いてるんですけど、別にそれがすごいとかそういう意味ではなくて、他の親族と乖離してるんです。異質すぎるんですね。親族でそういうの僕くらいで、いとこで言えば、他はだいたい地元で就職してるんです。例外として母方に医者の従兄妹が二人いますが、彼らもまた完全に異質なので除外します。で、何がいいたいかというと、逆境において生き延びる術を求める結果、親族の平均から逸脱した存在になることがありますね、ということです。DNAはある程度決まってるのか知らんけど、生育環境が似てるからか知らんけど、だいたい親族とか、兄弟、同世代のいとこあたりはだいたい同じような感じに仕上がる気がしますが、僕だけ意味不明な感じに仕上がっているのは、これはゲイであったからだと思うわけです。で、生物が存続するためには、同じ環境の同じタイプのものたちだけだと、なにかあったときに一気に滅びるから、多様性大事みたいな話あるじゃないですか、一つのカゴに卵全部入れんなみたいな。で、それを考えたときに僕は必然として、親族のなかの多様性を確保するための可能性としてゲイとして生まれてきたんじゃないか、とか考えてみたんです。でも0.0001秒でそれはないか、と気づきました、なぜなら僕の存在は遺伝子を残さないからです。でも親族の遺伝子の多様性みたいなちょっと広い視点で捉えると、なにかしらの担保になってるのかもしれない、例えば地元に隕石が落ちて姪っ子一人が仮に生き延びた際、そのサポート要員として東京に配置されてるのかもしれない、みたいなそういうなんていうかそういうのをね、考えてたんです。生まれることにも生きることにも死ぬことにも特に意味はないわけですけれど、人間はそこに意味を見出したいじゃないですか、なので僕はそういう観点から自分の存在意義というか生まれるにあたって与えられた生の意義について考えていたんです。僕たち皆、遺伝子が紡ぎ続ける紐の一部分に過ぎないのであれば、人類が繁栄し続ける可能性をできるだけ確保するための役割をもっているかもしれないじゃないですか、そういう意味でゲイという役を僕は与えられたのかもしれないという、そういうことを考えていました。うちの親族みーんな地元に残りがちでこれだと何かあったときの保険がない、そうだ、こいつはちょっと違うに感じして東京にでも行きたがるようにしよ、みたいな、大いなる力が動いたりしてたりしなかったりみたいなさ、こういうの考えたりしてて、こういうので小説一個かけそうだな、なんて思ってます。

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