Augustsky

30代ゲイが日々のことを書き綴るブログ

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母親にカミングアウトした

こんばんは、おめ&よろです。帰省からTOKYOへと戻ってきました。2年ぶりの故郷は変わっていないようで変わっていて、会った人間たち(母、兄、叔母、姪)も皆わりとビジュアル的にも変化していました。2年って大したことないような気がしますが、大したことあるな、と実感しました。というわけで、今回の帰省で、母に僕がゲイであることをカミングアウトしました。コロナを経て、いつでも会えそうな人々といつでも会えなくなってしまって、会えないまま永遠の別れとなる人々がたくさん世界にはおられるのをメディアを通じて見るたびに、明日は我が身だという気持ちが大きくなりました。今回、感染者数的に、千載一遇のチャンスだと思いましたので、帰省することにしました。帰省するからには、もしかすると今生の別れの前のありがたい機会である可能性もあると考えて、隠し事を消滅させてしまいたいと思いました。年老いた母にこんなことを伝えるのはショックを与えるのではないか、自分のエゴなのではないか、と過去数年間思っていましたが、同時にこの数年、祖父母、父、伯母と続いて別れが続き、自分の死生観に大きな変化があったこと、また別の伯母が余命宣告を受けたりしたのもあり、せめて母が病気などでカミングアウト聞かされてるどころじゃない、というようなタイミングになっていない今が最後のチャンスかなと思い、伝えることにした次第です。今では母が一人生活する実家に夜到着した次の日の午前中、いつものように母と話をしていました。僕たちは昔からよく話をする親子でしたので、そんな感じで居間でコーヒーやお茶など飲みつつ他愛もない話をしていたのですが、今かな、と思うタイミングが来たので「ごめん、ちょっとイヤかもしれない話していい?」って言ったら母も何か察した表情で「うん、いいよ」と来たので「あの、僕はですね、ゲイです」って伝えましたら「?」ってな表情だったので、おそらくゲイというワードの浸透率が低いのかなと思い「女性を好きにならないっていう」と伝えたところ「あー」と理解した様子でした。でもさほど驚いた様子はなく、「まあ、そうかなとは思ってた」とのことで、というのも、僕は中学生のころ、思春期特有のあれこれによるしっちゃかめっちゃかな感情に加えてゲイであることのあれこれで、セルフサービスでの死を考えることがあり、そんな気持ちがいったりきたりなときに、一度腹を決めて、勇気を出して、母の部屋に行き、自分は同性愛者かもしれない(実際には確信していたけれど、かもしれないの体でいくのが精一杯だった)と伝えたら、話を聞いた母は、僕が自分を同性愛者だと認めたくない方向で悩んでいると思ったのか、親なりの励ますような感じで「大丈夫だよ、お母さんも思春期の頃は女子の先輩で憧れる先輩とかいたから、気にしなくて大丈夫だよ」という、励ましと言うか慰めというか、そんな言葉をかけてくれて、僕はそのとき(そういうことじゃないんだけどな……)と心のなかで思いつつも、もうひと押しする勇気も度胸もなくて「あ、そうだよね、考えすぎたかも、ごめん忘れて」と言って自分の部屋に帰りました。ってなことがあったんですけど、母はそれをずっと覚えていたらしく、もしかしたら”そう”かもしれない、と思ってたらしいです。10年くらい前に結婚の話を振られた僕がわりと本気で嫌がったことがあったんですけど、それ以来母は結婚の話はしてこなくなりましたし、親戚などから結婚の話を振られると、それとなく話をそらしたりしてくれてました。というわけで、今回カミングアウトしても青天の霹靂のような驚きではなく、ある程度予想していたみたいです。あるあるな質問が少しだけあったので答えたのですが、僕は生まれつきで物心ついたときからそうだったということや、誰のせいでもなく、ましてや母の責任でもないのだからこういう風に生まれついたことを恨んだりなどしていないし、生まれ変わってもゲイで生まれてきたいし、母の子として生まれてきたい、ということを伝えました。これらの会話は淡々としました。でも親としての責任を感じる、と言います。親なのに子供が悩んでいること、苦しんでいることに気がつくことができなかったことに対して、責任を感じると言っていました。そして悩み続けた37年間は長すぎる、もっと早く気づいてあげられたらよかった。これからはできればもう悩まないで生きてほしい、と言っていました。帰省してすぐに伝えたので、伝えられぬまま自分の中でそわそわするというようなこともなく、その後はいつものように、昔の話や今の話、未来の話、いろんなことを話し、年を越し、新年を迎え、互いにこれが今生の別れかもしれないから、達者で暮らしましょうと見送られて帰路につきました。帰りの飛行機の中で外を眺めながら「原罪と福音」って曲を聴いてたんです。その歌詞が胸に染み込んできて、特に「そっと背負った十字架は置いて行こうもう良いだろう」のところで、ああ、生まれ持って背負ってきたものを2021年に降ろしてこれたなって思ったんです。母も僕もいつまで生きていられるかはわからないですけれど、少なくともこれからの人生において母に隠し事をしなくてすむのだなというのは、いずれくる別れのとき、それも僕が残る立場であったときに大きな後悔として残るかもしれなかったことを解消できて非常に清々しい気持ちになりました。これは僕の心の荷物を母に渡しただけのエゴなのではと言われるかもしれないけれど、とにかく生まれつきであること、僕が僕の人生をわりと好きなことを伝えることで誰のせいでもない、責任でもないということが少しでもわかってもらえたらよいなと思います。僕が今回カミングアウトをしようと思ったことにもう一つ自分なりの考えがありました。ゲイの人はわりと身近なところに居て、結構人々の中で笑ったり泣いたり怒ったりなどして、まあたまにはずるいこともしたりなどして、それぞれの感情と人生を伴って存在しているものであり、テレビの中の誰かじゃないということをゲイである当事者自身が、身近な人に伝えることでほんのわずかずつでも草の根的に、実社会での存在を確かなものとすることによって、それが次の世代の若かったり幼かったりするゲイの子たちの苦しみを少しでもやわらげることにつなげられるのではないか、ということです。押し付けにならないよう、伝える相手やタイミングは慎重に選ばなくてはならないけれど、勇気を出して度胸を持って、自分で責任をとる気持ちで行動するのが大切なのかなと思いました。法律を作ったり、テレビや本で啓蒙するのもいいかもしれないけれど、飛び道具でぶん殴っても人の気持ちはときに、逆に頑なになってしまうこともあるので、一方向の啓蒙ではなくて、対話で理解してもらえるようになったらいいなと思っています。

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