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君の心に刻んだ名前を見た

ずーっと、結構最後の方までずーっと、どういう設定なんじゃいと思いながらヤキモキしてたんですけど、ていうかほんと最後の方までどういうことなんじゃいと疑いを拭いきれない気持ちでみていたんです、シャワーのシーンですら(一時の欲望に負けてしまったけれどこの決定的行動によってお前の気持ちが改めて明確にわかったけれどそれでも賢者タイムになって冷静に考えるとこれまで思わせぶりだったこと、そして受け入れるの無理なこと、の両方の意味で)「対不起」ってことなのかもしれない、って思っていて、もう本当に本編のほとんどを「思わせぶりなノンケまじでいい加減にしろ」現象かなと思って見ていたんです。なんて素直じゃないんだと言われそうですけれど、それなりにノンケに恋をしてしまったことがあるゲイであればこのくらいの疑心暗鬼に陥ることはあるのではないかと思うんですけど、結局のところ「時代のせい」ということに落ち着くわけですが、大事だなと思うことは、当時の台湾(当時の日本も似たような価値観だったでしょうけれど)だと、ゲイ本人たち自体が(これどういうことなんだ??俺はなぜこのようなことに??男が好きなんだが??どういうこと??)という困惑の中で生きていたであろう(少なくともジアハンとバーディは)ということだと思うんです。自分たち自身も揺らいでいるので他人を説得するなんて段階ではないし、にもかかわらず、「好き」という感情は「世間の常識」に関係なくとめどなく溢れてくるわけですよね。これは本当に混乱するし不安になるし自分の存在自体が不安定になるし、何より一番近しい信頼する親にも家族にも友人にも相談できないという、思春期で抱えるには結構難易度高すぎる試練なのですけれど、それがとてもよく描かれていて、最後まで見た今となってはバーディの一連の行動も、そうせざるを得ないところあるだろう、という感じだし、ただただ、不幸、時代に恵まれず、世間に恵まれず、誰が悪いってわけでもないのがさらにやるせない、強いて言えば同性愛を罪と決定づけた某宗教とそれによって支配された西洋的価値観が原因そのものって感じがしますけれど、かといって宗教弾圧せよって話ではないので、なんていうか、時の流れというか、それにともなう世界の大きな流れが変わらない限り無理ゲーって感じなので、ただいま2021年なにがどうなってこのような現代になったのかについては、理由は無数にあって複雑に絡み合ってちょうどよいタイミングで組み合わさって今の、比較的同性愛に寛容になりつつある世界が生まれているのでしょうけれど、今の10代とかってどんな風に生きているのかが興味深いですね。僕が10代だった20年前はこの映画とさほど変わらないくらい、ゲイであるというのは、特に田舎だったからも知れないですけど、決してバレてはならぬことであり、万が一テレビなどでそんな話題や揶揄するキャラクターがコントで出たりしたときには、異性愛者たちとともにからかい罵る会話に愛想笑いでたたずむという、踏み絵が存在してましたので、この映画見てるとジアハンのクラス替え時の毅然とした態度で友人たちに向かう姿勢は素晴らしいとおもいました。でも最初に毅然とした態度でゲイを助けたのはバーディなんですよね、あれでジアハンも勇気づけられて自分を変えるきっかけになったであろうにもかかわらず、バーディがゲイであること、そしてジアハンの想いを否定するような行動を取り続けることの哀しみはいかばかりだっただろうかと思います。あの、最後の方の雨の中電話をするシーンの美しきこと、なんて美しくて悲しいんだろうと思いました。そして年を取って再会した2人からの若き頃の二人の幻影が現れるシーンがなんとも言えない、失われてしまった、あったかもしれない今を想わせて悲しくなりました。あとバーディの奥さんが言ってたことも、ほんとそうだよねって感じですね。皆損しかしなくて誰も別に得してない価値観なんて捨てちゃったらいいのにって思います。

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