推しを推しちゃってもよいのかなという気持ち
推しの個人的性格は知らない方がいいよってなことがあると思うのですが、追っかければ追っかけるほど、インタビュー記事や動画やら読んだり見たりするうちに、否応なしにどのような人物なのかが、少なくとも公的な顔としてどのように生きておられるのかが、わかってくるものですね。大抵のことは別にどうでもいいよ~んなのですが、どうしても僕が気になってしまって仕方ないこととして、男性の推しの方で、ゲイの役をやったけど「実は結構ゲイに抵抗ある」というのがあって、これは完全に僕の思い込みかつ偏見なのですけれど、なんかこうインタビューの端々などからにじみ出ているというか、誰向けの弁解?みたいな、例えば「僕ゲイの役やってますけど別にゲイのこと嫌いじゃないですけどまあ言ってみたら愛っていうのは普遍的なものであって猫とか犬を好きなのと同じですし」みたいなことを言ってしまう。なんていうんですかね、いや、犬や猫を大切な家族だと思う気持ちはあると思うけど、恋愛として犬や猫と人間とはあきらかにちがうやん、っていうやつなんですけど、なんならハッキリ言えばいいじゃん、役で割り切ってやってますけど実際は抵抗ありますね、って言えばいいのになって思うことが以前あったのですけれど、これは前置きなんですけど、別の男性の推しの方で、一つの例を挙げると好きな作品でいくつかに混じってCMBYNを挙げてらっしゃる方がおいででして、で、別に好きなゲイ映画を教えてくださいなんて聞かれたわけではなくて、ヒロインが素敵だと思う映画を教えてくださいという質問でそうお答えになっていたんです。なんていうかニュートラルさを感じませんか、僕は感じました。この方は、非常に用心深く言葉を選んで話をされていることが多い印象で、ラジオでも活字でも、女性だから、男性だからみたいな話題にはとても気を使ってお話なさっていまして、例えば男性俳優にインタビューするときって、まるで女性ファンしか存在しないような質問をしたりするインタビュアーっていたりしますよね、そういう質問に対しても可能な限りニュートラルにお答えされてるのをよく見ます、こういうの地味にとても励まされるというか、ああ、自分は男性だけれどファンで居てもいいんだな、という気持ちが出てくるというか、些細なことかもしれないんですけど僕はとても推し申し上げ続けたい、と思う要素のひとつです。こういう、(男かつゲイだけど推し申し上げてよいのかな?ご迷惑ではないかな?)という価値観自体が僕の見当違いな思い込みであるかもしれないとは思うんですけど、どうしても、写真集発売の握手会に一人で乗り込む、というようなことはできないので、修行が足りないのかもしれないですが、いずれにしても、存在自体が切り捨てられないような配慮をされる推しのことをとても尊敬できるお人柄だなと思っています。これは別に性別だけではなくて、年齢などでもあり得る問題だと思いますが、誰でも推してくださってかまいませんよ、というスタンスの推しはやはり素敵だなと思えてしまいます。そういう意味では、「私は女の子のために曲を書いていて殿方は知ったこっちゃない」てな発言なさった女性の推しにたいしては寂しい気持ちになりましたけれど、お作りになられる音楽や演奏が素晴らしいのでどうしても推し申し上げてしまいますので、結局推すんかいって話かもしれないです。
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