Augustsky

40代ゲイが日々のことを書き綴るブログ

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方言の話します暇なので

シンチャオ~(かぶれ)、いかがお過ごしですか。僕はワイン750mlの半分を過ぎたところです。暇ですな、土曜の夜だっていうのにこうやって人生ってのは過ぎ行くものですな、このハイパーメガギガメトロポリタンTOKYOに住んでてこれなんですから、東京以外の場所に住んでる諸兄姉におかれましてはさぞ暇なサタデーナイトをお過ごしのことでしょうね。というわけでほぼ誰も興味がないことをアウトプットします。なぜ福岡市以外の九州の民が上福(なんねそれ)したら謎の似非疑似シン化関西弁もどきの言葉を使うようになってしまうのか、この問題についてですね、話していきたいと思います。僕はですね、方言特高ですので、非常に厳しく方言について目を光らせております。まず爆心地であります福岡県福岡市ですが、まずなぜ福岡市の民(福岡出身なんですねって訊かれたときに「福岡のどこなんですか?」って訊いたら「市内」って返答するタイプの民)はあの似非関西弁的キメラ九州弁を話すに至ったのか。これが今僕の最大の関心事なんですね、まあそうね、最大って言うといいすぎかな、参院選の次くらいね。なので、本当に僕はこれが不思議なんですよね。少なくとも非九州の民の"博多弁"の認識って「ばい」「たい」みたいなやつだと思うんですけど現在の"Hakata-Ben"においては正直これらはすたれてるというか意図的にすたれさせられてる気がするんですけど、まあこれは僕の印象であり独断と偏見であり個人の感想でありこのブログのサーバ代は僕が払っているので僕の意見を述べますが、まずここに乖離があると思うんですよね。だから多分非九州の民が福岡空港に降り立ち、「ウワ~~博多まで二駅便利~!」つって博多に行って現地民と会話をしたら多分期待を裏切られると思うんですよね。「なんでこの人たちキメラ関西弁みたいなの話してるの……?」っていう。そう、なんか知らんけど博多の民を自称する人もしくは福岡市内(市内自称)の人たちってなんか知らんけど「〇〇なんよね」「〇〇や」みたいな話し方する人間がいる気がするんですよね。これはぜんぜん九州弁じゃないですよね、いや、僕は北部九州弁原理主義者なんですけど、確かにさ、肥前地域でしよらすっていうのを福岡あたりの民がしんしゃるっていうのはこれはねオーセンティックなことだと思うんですよ。でもさ「〇〇や」みたいなのは完全におかしくない?いやね、僕は怒ってるんですよ、これは怒りなんですよ、なんて情けないっていう。勝手な怒り。僕なりの分析を述べてまいりますね。まずね、福岡っていうのは九州の首都みたいな感じなわけですが、これは納得してるかは別として現実的な力関係がそうなわけですが、一定の求心力、いわゆる重力が働いており、九州内で地元を出ようとして第一宇宙速度を突破できなかった民は福岡にとどまります。で、九州の民ってふんわり「たい」」「ばい」みたいな語尾を共有してないこともないけど、わりとディテールにおいて言葉に違いがあり、そのほんの少し差異を感じ取って「あ、この人はよその人だ」って思って標準語で話してしまうみたいな奥ゆかしい習性があります(個人の感想)これは関西勢が兵庫和歌山奈良滋賀がそろってても関西弁話すことと対極的です(エアプの感想)。で、重力を振り切れず福岡に落ち着いた九州の民はコミュニケーションを取ろうとします。その時に地元の方言を使うと微妙に違いがあって、むずむずしちゃうし、だいたいわかってるであろう(関東の民とかほど他地域九州弁理解できないはずもない)から、例えば恐る恐る髪を切りに行った大名の美容院の美容師から「え、それなに?」みたいなことを言われて深く傷つき地元の方言を話すことをやめてしまいます。とは言っても標準語を話すのはあきらかにおかしいわけです。だって福岡だもん。TYOでもねーのに標準語話すなんてへそで茶を沸かす愚行に他なりません。ですので、そこで"博多弁"になじもうとするわけです。しかしながらこのキメラ関西弁はすでに九州の魂を失っていますので、「〇〇や~」みたいな切腹レベルの形状崩壊語尾を使ったりします。ここできっと葛藤があるのでしょうけれど、重力の下で生き延びるために地元の魂のみならず九州の民としての誇りを捨ててキメラ化します。ここで疑問なのは、なぜこのキメラが生まれたかということです。僕的にはまず、微差に苦しむ九州からの寄せ集めの民が共通言語(≠標準語)を生み出す必要があったということがあると思います。ですので皆が架空の"博多弁"をマテリアライズしたということがあったのであろうと思うわけです。これは言語学でいうところのコイネー化だと思うわけですが、ここまではわかるわけです。問題はなぜ似非関西弁化してしまっているのかということです。で、ここで立ち止まってみると、実は博多弁は数百年前から似非関西弁だったのかという可能性です。というのも言語は伝播していくものであり、現代と違って1000年前だと伝播の速度が遅い分、上書きも遅く、さらに言えば上書きされないこともあったと思うわけです。これは例えば現在の長崎県北部で使われている方言が1000年前京都で使われていたものが残っているみたいなことです。以前調べたけど詳しいことは忘れたけど、和歌の語尾みたいなのがいまだに生きてたりするからです。ただ現代人が思うアクセントやイントネーションと違う感じです。で、博多は昔から要所であったがゆえに京の影響が大きくて、さらに言語のアップデートもわりと頻繁にかかっていて、それゆえに関西弁化が他の九州の地域より進んでしまったのだろうかみたいなことです。これが一つ目の僕の感想。もう一つは、福岡の自認と承認欲求がすごすぎて、福岡吉本みたいなのができて、なんかわからんけど大阪に対する謎の対抗意識を持ってしまった結果、大阪に飲み込まれてしまっていった説です。なにいってんだオメーかもしれないですけど、そうじゃないと説明できなくくらい「〇〇や~」みたいな話し方はあまりにも九州弁から乖離しすぎてて説明できないんです。例えば僕は「〇〇しているの?」という標準語を方言にする場合、長崎北部方言であれば「〇〇しよっと?」になるのに福岡系では「〇〇しよ~と?」になるというこの音引き現象がブリッコすぎて耐えがたい共感性羞恥になるわけですが、これは福岡の人たちからしたらデフォなんでしょうから、まあいいじゃないですか。でも「〇〇や」みたいなのは明らかにおかしいんですよ、これ本人たちも気づいてると思うんですけど気づいてないんですかね。九州の民の誇りはどこにいったのかという、情けなさに涙が止まりません。で、なんの話だったっけ。そう、いやほんとにさ、福岡市以外の福岡県の民はこの現象どう思ってるんだろみたいなことを思いつつも北九州とかはちゃっちゃちゃっちゃ言う気がするのでそもそもなんか違う気がするし、大分の民は瀬戸内海を挟んだ交流が歴史的にあったのか関西弁ていうか四国弁みたいな話し方混ざってるし、それいったら四国の民も関西弁風アクセントで語尾に「けん」つけたりするのでこのあたりは正当な歴史のまろやかブレンドだと思うんです。僕の片思いかもしれないですが熊本はオーセンティック九州弁を守り続けてる気がしていて、宮崎はちょっとようわからんごめん、って感じで鹿児島は島津暗号言語なのでオブザーバーでよろって感じなんですよね。佐賀東部はすでにFの支配下にあるので置いといて西部はまだオーセンティックさを維持している気がしないでもないです。そこで長崎県というのは九州でも最果ての西の端でしかもあいだに佐賀という緩衝地帯と山すぎる地形のおかげで方言が比較的保存されてきたと思っているわけです。というわけで正当なオーセンティック九州弁は長崎県か熊本県か佐賀西部にしか存在しない(宮崎ごめんわからん)のではないかということです。これは由々しき事態ではないですか。九州の王と自認する福岡のふがいなきことと言ったら。とはいえこれ全部僕の妄想なんで、単純にめちゃくちゃ関心があるんですよね福岡の方言ってどうなってんの?っていう。僕は大学のゼミ論で英語学科の言語学専攻ゼミだったのに英語嫌いすぎて北部九州の中間敬語で先生に書きたいですつっておっけ~!って言われて書いたくらい方言に関心があるので、純粋に関心があるのと単純に方言を守りたいんですよね。だから博多出身みたいな触れ込みの有名人たちが話すキメラ語に疑問を感じざるを得ないわけです。あ~方言の話って考えるの楽し~。

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