実体化タイム
こんばんは、深夜、いかがお過ごしですか。僕は750mlのワインも残す所150mlくらいになりました。やはり、好きな音楽をイヤホンで爆音で聴きながら酒を飲むというレジャーは素晴らしいですね。アヴリル・ラヴィーンのファーストアルバムというと僕が高校生だったくらいの頃にリリースされたんだと思うんです、僕はアヴリルと同い年ですからね。で、このアルバム、同級生友達のお姉ちゃんが持ってたのを貸してもらったんですよね。で、自分のPCに入れて、CD-Rに焼いて、じいちゃんが買ってくれたマニュアルムーブであちこち運転しながら聴いてました。このアルバムの持ち主だった友達のお姉ちゃんが一昨年亡くなってたということを先日知って、びっくりしました。僕よりも2つ上だったんですけど、なんていうか、かわいくて、学校の皆に人気があって、でも正統派の美人というよりも尖った感じで、でも合唱コンクールとかでは一生懸命美声を披露して、高校に進学したあとは文化祭でナースの格好してバンド率いて林檎の本能歌うみたいな、そういう青春のクイーンだった人が、齢40で亡くなってしまっていたのだということを知って、とてもなんというかショックでした。話を変えます。Salyuのプラットフォームって曲あります。この曲を聴くと胸がギューンとなりますが、なぜなのかわかりません。ただ大学生だった時分が関係している気もします。人生は音楽と密接に関わっています。少なくとも僕の場合は。そのときそのときで聴いていた音楽を聴けば、過去の自分が感じていたことを追体験できます。アヴリルのanything but ordinaryを聴いてた18歳のとき、車の中で熱唱してたの思い出せます。歌詞だって覚えてます。人生あまりにも早く、そして短いと思います。まばたきしてる間に時が過ぎていきます。42年前、僕は宇宙にただようなにかしらの物質だったかもしれないんですけど、なんか、なにかしらの因果で人間として構成されて生を受けて、今にいたるわけですけれど、これはあと40年くらい後にはおそらくまたなにかしらの物質に戻るわけであり、今がなんというか稀有な、宇宙を構成する塵が実体化しているタイムなわけですけれど、果たして僕はこの実体化タイムをmake the mostできているのかというとなんだかぜんぜん自信がありません。皆さんはどうですか? 実体化タイム最大限に活用できてますか? いずれ塵にもどる者同士、同じ時期に実体化した縁をもっと結んでゆきたいですね。1960年代の曲とか70年代の曲とか、自分が生まれる前の曲聴くと、当時を過ごしていた自分の親とか祖父母とか伯母たちとかのことを考えてしまいます。今はもう意識のないお骨になってしまった人たちも当時は生き生きと過ごしていたのだろうなと思います。人間の仕組みがそういうふうにできているのなら膝ポンなんですけど、どうして僕たちは今この瞬間も終わりに近づいていることを意識することができないのでしょうか。まあ意識してたら気が狂うということもあると思うんですけど、少し距離をとった感じで、時間を引き締める感じで、いられるといいんですけど、なんかこう、この今、現在のぼけっとしてる時間がまるでいつまでも続くかのように雨雲の動きを眺めてしまっていたりします。全部刹那の積み重ねですので、そう考えれば後悔なんて馬鹿げてる気もします。好き放題生きていきてえなあ~~~~って感じなので、好き放題生きてこうね、と自分に説きながら過ごしていきたいと思います。
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