Augustsky

40代ゲイが日々のことを書き綴るブログ

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2024/08/15

こんばんは。明日は終戦記念日ですね。今は終戦の日っていうんですかね、まあ確かに記念日ってなんだよって感じはしますけど。僕が義務教育受けてた時代には終戦記念日だった気がします。今日は終戦記念日の前の晩だったんですね。明日、戦争が終わると市井の人々は知らなかったでしょうから、原爆を2発落とされ、ソ連が侵攻してきたあとの、先の見えない戦時の日々としては最後の晩だったということですね。ところで戦争と切っても切り離せないのが教育ですが、僕は40歳なんですけどわりと自虐教育されてた世代に入ってると思います。まあ僕より40歳上くらいから10歳下くらいまではそうだったかもですけど。で、僕が小学校の低学年だったときの先生っておそらく日教組だったと思うんです。めちゃくちゃ体罰もあって、僕も何度ビンタ食らったか覚えてないんですけど、なんか総合して一生懸命やってくれてる先生みたいな感じで親含めてわりと慕われてたんですよね。僕も割と好きだったんです。でも今考えるとDVする人が見せる優しさのギャップみたいな効果があった可能性はあります。とはいえ、熱心で確かになんかこう一緒に裸足で朝から児童といっしょに走るみたいな感じではあったんです。教えるのも熱心だったと思います。ただ音楽の教科書の裏表紙めくったところにプリント貼りなさいって言われて、貼ってたんです。君が代が隠れるんですね。まあ子供の頃はどういう行為かよくわかってなかったんですけど。多分あの先生は邪悪ではなかったと思うんです。まっすぐだった感じがしますね。それゆえに戦後の自虐教育をもろに吸収してしまったのかなとも思います。僕たちずーっと戦後教育で育ってきたんですね、世代をこえて。戦前と戦時の日本の否定と、戦後の贖罪を幼い頃からたたきこまれてきたわけです。戦争は最悪ですよね。僕の大伯父が戦争で亡くなった話を祖母から聞いたことがあるんです。二十歳そこそこくらいだった大伯父と祖母は年齢が10歳くらい離れてたんですけど、出征後、祖母が大伯父の部屋で遊んでたとき、こっそり大伯父の机を開けたことがあったらしいんです。なんてことない好奇心で。そしたら引き出しの中に手紙の封筒が入ってて、女の人からだったらしくて、もちろん中身は読まず引き出しを閉めたぽいんですけど、祖母は「多分彼女やったとよ」って言ってました。その話をわりといつも思い出します、終戦の日には。戦時の日本とか、戦前の日本とか、悪の帝国で暗黒の邪悪な人間たちだったみたいな感じで、教育をうけたんです僕。小学校の社会とかで。でもさ、今僕たち大人になっていろんなことがわかってきて、んな単純なわけねーだろなあっていうことがわかりますね。ほんの数年前、現代に生きる僕たちはコロナ禍に見舞われてしまったじゃないですか。あれは突然、世界が一変しましたよね。最初は中国での対岸の火事だったものが、どんどん自分たちの日常に侵食してきて覆い尽くしてしまい、いつ終わるかもわからない、もう二度と日常が戻ってこないのではないかという不安を抱いたわけですけど、先の戦争のときも、きっと同じように日常が失われていったんじゃないかと思うんです。政治家や軍人にどうしようもないやつらがいたことは、そうかもね、と僕は思います。そうじゃない人もいたであろうことも。そして、徴兵された人たち、皆普通の人達だったんですよね。田んぼや畑が広がる田舎の山の麓の家で、将来の夢を抱いたり、好きな人との日常がずっと続くだろうと思っていた若者だったんですよね。僕は区別だと思うんです。非常に細心の注意を払って、繊細な区別をするべきなんです。戦争はいいものなわけがないし、戦争なんてしたいわけがない。戦争に突入する原因はいろいろある。戦争で戦う人たちにもいろんな人がいる。とても書ききれないくらいいろんな要因があると思うんですけど、それらを繊細に区別するべきで、特に日常を奪われつつも、いつか家族のもとに帰れるという希望をもって、あるいは見知らぬ土地で希望もついえて、生涯を閉じざるを得なかった人たちのことに思いを馳せるとき、鎮魂を祈ること以外できないじゃないですか。でも僕が受けた教育ではこういった人たちすらも悪の帝国の手先のように教えられたんですよね。中には捏造された根拠をもとにしたものをあったと思いますが、それをここで詳しく語ることはしないとしても、なんか僕としては違和感があったんです。そんなに僕の大おじさんが邪悪だったってことある?っていう。この違和感というかバグはわりとずっと続きます。僕は10代の後半くらいまではわりと左派的思想だったんですよね、ニュース23とか見てる感じの。(ほぇー日本って悪い国なんだー)っていう。でもどこかでずっと違和感はあるわけです。で、僕の祖父が絶対いつか僕の兄と僕を知覧に連れていきたいって行ってたんです。知覧特攻平和会館のことです。で、僕が16歳とか17歳くらいのときに行ったんです。祖父母と兄と僕で。僕はもともと涙もろい人間ではあるんですけど、展示を見ながらもうずっと涙が止まらなくて、自分が連れてきたくせに祖父が戸惑っていました。もう随分前のことなので詳細は思い出せないんですけど、遺書とか写真とか、当時の僕とそう年齢の変わらない人たちの人生の最後を目の当たりにして、涙が止まらなかったです。純粋にかわいそうでした。送り出したお母さん、お父さん、家族はどれだけ心が張り裂けそうだったかと思うと、想像するだけで辛かったです。でもこれは現実にあったことで、その延長上に現在の僕たちの日常があるのは否定しようがなく、彼らの存在を知らない振りして生きるなんて無責任だなと思いました。これが僕の中での自虐史観を打ち消すきっかけになったと思います。違和感というかバグが顕在化した気がします。なんか教えられてきたこととちょっと様子が違うというか、物事はいろんな側面から見ないといけないと思いました。もう戦後80年近くなり、もはや歴史の一部にアーカイブされてしまいそうだけど、現代に生きる人もきちんと知っておいたほうがいいと僕は思います。戦地に赴いて亡くなった方々を弔い、鎮魂の祈りを捧げることが戦争礼賛になるのか、そんなわけないです。そんなことは、ニュートラルな気持ちで考えればすぐにわかることじゃないですか。なのに僕たちは長いこと偏った教育を受けて、人として素直に祈ることすらなんだか後ろめたい気持ちになるようになってました。教育って怖いです。ただ、人生それなりに生きてればどこかで、自分で考えることができるようになると思うんです。その時点で大人になるんだと思います。清濁併せ呑んで咀嚼すると、繊細な区別ができるようになります。残念なことにそれができないままずっと大人になれずにいる人達がいて、まるで自分は地続きの時間から切り離された、別のレイヤーに存在する外野であるかのように時代やそこに生きた人々を断罪してたりします。でももうそういうの、終わりにしたほうがいいよって僕は思います。明日は心静かに、戦争の犠牲になった方たちのために祈りたいです。

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