朝ご飯食べて家を見て写真を見た
こんばんは、サタデーをいかがお過ごしですか。僕はピザとコーラの丁寧な夕餉をいただきましたのでピノ・ノワールを飲み始めました。また、本日はロックアイスを買ってきたのでグラスに入れては三ツ矢サイダーやらアイスコーヒーやらコーラやらを入れて飲んでカラカラと鳴る音が非常に心地よく、氷の鳴らし方も含めてグラスの良し悪しなのかなと思ったりしました。今朝は目が覚めてから一時間くらいベッドの中でスマホを見てた(ド近眼なので片目をつぶって)んですが、これではこの世に生まれてきた意味がないと思い起きて身支度して家を出て南平台に向かって歩きました。朝ご飯を食べようと思ったのです。川沿いのカフェー的ところに行ってフレンチトースト食べるか迷ったのですが、なんか妥協してる感じするなというのと明らかに写真でみるフレンチトーストが値段に見合わないにも程があるなと思ったので南平台に向かいました。南平台のとこは犬連れOKな感じの常連さんがいて店員ズと常に会話している難易度高めな感じでしたが、普通に座ることを許可され食事も運ばれてきましたし特に問題なかったです。2階なら常連さんと店員の会話を気にすることもなくチーンって鳴るやつで呼べるぽいので、そういう意味では2階のほうがいいかもです。思ったよりパンが予想の1200倍でかくてでかかったですが、サラダには葉物の他に火を通したきのこやミニトマトが混ざってたりして、オムレツもとてもおいしくヨーグルトもなんかちょっともちっとしてる(?)感じで少しフルーチェ感あっておいしかったです。アイスコーヒーもおいしかったので、南平台で朝ご飯を食べなければならないことがあればおすすめです。その後、旧朝倉家住宅に行きました。何年も前から存在は知ってたんですけどなんとなく通り過ぎててコロナ禍終わったら行こ、と思っててまだまだ通り過ぎてて今日、行きました。昔の家って感じでした。なんていうかいくらお金持ちだったとはいえ庭園美術館の朝香宮家のような家柄ではないので、比べると庶民的ではあるんですけど、それでも豪邸で、かついい感じにくたびれててリアルでよかったです。すみません、ド庶民の田吾作なのに差し出がましいことを申しました。で、どうすっかな~このまま帰るかな~と思ったりもしたんですけど、とりあえず恵比寿に向かって歩きました。なんかこう少しだけ感受性の刺激があったことにより、食欲の呼び水のごとくなにかもっと感受性を満たすものを欲し始めたので写真美術館に行きました。写真美術館あたりまで行くことはわりとあるし、こないだも展示を確認したものの(なんかあんま違うかも)と見なかったりしたんですけど、今日は3階2階地下1階と全部みました。とてもよかったです。感受性の器がだいぶ満たされました。一部を除いて写真撮影可でした。1930年代のチョコレートの広告の写真とか、これは折に触れて申しておることですけれど、大正から昭和初期くらいの戦前って全然暗黒時代ではなくて、普通に経済活動がなされていたんだよなあ、というのがあらためて感じられてよかったです。もっとこの時代のことを知りたいです。この展示は平成くらいまでをカバーしてた感じなんですけど、途中あった写真をしばらく眺めてしまいました。サイパンで島民が自決した場所に続く道の写真です。写真自体は後年撮られたものなのでカラーでした。透き通るようなグラデーションの青い空に雲が浮かんでいて影をおとす建物もなく照らされた舗装されていない道には小石が転がっており、当時のそのときどういう天気だったかは知らないんですけど、もしそのときもこんなに清々しい天気で明るい日差しとさわやかな空だったとしたら、この道を歩いた人たちの心の内、どれだけの混乱だったか、もしくは諦観だったかわからないですけど、世界の終わりのような暗い雲と悪天候、雨の夜とかではない、あんなに素敵な自然から全力で祝福されているような気候の中で自決するなんて、一歩一歩道を歩く足の裏の小石の感触とか、少し大きめの石、ここでつまずいて転べば立ち上がるまでのわずかな時間だけでも命が延びるだろうかと考えた人がいただろうか、などと想像していたらしばらくその写真の前を離れることができませんでした。ほんの少し前まで若い女の人がチョコレートを手に持った広告が当たり前にあるような日常に生きていたのに、今本土から遠く離れた空の下で命を終えようとしているなんて信じられないような気持ちだったのではないかと思うと、当然だけど全部つながっている日々の延長上にあることなのだなと思いました。他にもいい写真がいくつかありました。あと映像が流れてるコーナーで、ハワイのお坊さんが話をされていて、内容的には日系移民の人たちの話だったんですけどこのお坊さんは50年前にハワイにわたり、そのときはまだ一世の人たちがたくさんいたとおっしゃっていて、その流れで諸行無常について話をされており、「仏教といえば諸行無常ですが、諸行無常っていうとなんだか儚い、寂しいという感じをおぼえてしまいますけれど、例えば赤ちゃんがはいはいするようになって、今度は歩き始める、毎日変わっていく、新しい希望が生まれてくることもまた諸行無常なんですよね」とおっしゃっていて、聡い方々にはいまさらかもしれませんが僕はわりと(確かに~~~~!!)となりました。こういう話も雑誌にささっと書いてあったり、テレビでなんともいえんやつが言ってたりするとまったく見逃してしまっていたかもしれないのですが、写真をみていろんなことを感じて、感受性スイッチがオンになっている状態できいたので、ちゃんと咀嚼して受け入れることができたんだろうなと思いました。というわけで大満足で写美をあとにして、歩いて歩いて帰ってきました。今日はわりと空気がひんやりしていて、日差しは明るく、日陰を歩いていれば快適な散歩日和でした。誰とも会話していないし、誰とも触れ合っていないですけれど、それでもやはり外にでて世界とインタラクトすることは、その行為自体の価値すら家の中にいたら想像もつかないくらいの大きな気付きをもたらすなあと思ったので、やはり僕は外に出て、散歩して過ごしていきたいです。
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