Augustsky

40代ゲイが日々のことを書き綴るブログ

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ジントニックはおいしい

こんばんは、フライデイチャイナタウンいかがお過ごしですか。僕は家で酒を飲んでいます。たべものを食べすぎておなかいっぱいで苦しいのでしばらくたべものはいいです。ところで人生長くて80年くらいって、短すぎると思いませんか。桃鉄で99年にすることを容易に選択できる私達にとって人生が80年というのは短すぎると思うんです。俺屍をやったことがある人なら2年の短さ儚さを感じたことがあると思うのですけど、人間の80年だってそう長くはないですよね。さっきふと気づいたんですけど父親が亡くなってから5年経ってて、え!もう!?って感じです。というかコロナ禍であっという間に3年が無駄に過ぎ去られさせられてしまったのが本当に悔しいです。なんなのあれ結局なんか誰の責任かもうやむや過ぎるけど、たくさんの命が失われて人々の日常も奪われたのになんであれなんとなく過ぎ去ってよかったねみたいになってんのおかしくない責任取れや某国のクソが日本には80年以上前のことでグチグチ言ってくるくせによと思っているのは僕だけではないでしょう。話がそれました、そう、人生短いねって話です。だって10年前にいた人たち、もうたくさんの人がいないですからね。諸行無常過ぎますね。去る人があれば来る人もあるわけで、今この瞬間も新たな生命が世界にJoinしているわけですけれど、この赤子が生まれることについて考えてました。僕はゲイなので思春期に入るころには完全に(あ、自分の人生で子供を授かることないな)って理解してたわけですけれど、現代社会、ゲイやレズビアンであっても子供を授かっている人々がいます。別にそれがいい悪いとかの話じゃないんですけど、この子供授かってOKっていう閾値ってどこにあるんだろうって思ったんです。例えば、ものすごくものすごーく貧しいご夫婦があったとして、とてもじゃないけど人並みの教育もモノも与えてあげられない、ということが明白だった場合、それでも子供を授かることは批判されることなのだろうか。もしくは既に生まれている兄もしくは姉が重度の障害をもっていて、生まれてくる弟もしくは妹はおそらく人生をその兄姉の世話でついやすことになり、自身の人生の選択、進学、就職、結婚にも大きな制約がつくであろうことがわかりきった状態で、新たな生命を授かることは批判されることなのだろうか。ゲイやレズビアン同士のカップルが、現代社会において稀な例として精子提供や卵子提供と子宮レンタルで授かる子供について、おそらく親の知らぬところで苦労をする可能性が予想されるし、世間からの心無い扱いに傷つくのは親ではなく子供本人だったとして、それは「社会が悪い」で済ませればいいことなのだろうか、実際に傷を受ける子供のことはないがしろになっていないだろうか。もちろん世の中、金があって、健常者で、異性愛者という条件を完璧に満たしている人たちばかりではないのだけど、子供を授かることが許されるラインってどこで線引きされるのかということを考えたとき、おそらく、ラインはどこにもなくて、自分自身のエゴをどこまで突き通すかだけのシンプルなことだと思ったんです。だって僕だって今から女性とお付き合いして結婚して子どもを授かることは不可能ではないんです。ただ、しないだけで。だから基本的に子供を授かるかどうかっていのは親になる個々人のエゴの問題に過ぎないわけですけれども、別にそれはご自由にどうぞって感じで批判とかはする気ないです。そこで子育て支援金の話なんですけど、これは少子化なんとかしなくてはいけないから皆から金集めて少子化に使いまっすって話なんですよね。日本という国の子供が少なくなってきてるから増やすために金集めるからお前らよろな!って話なんだと思うんですけど、まあ、子供がおらず子供を持つ予定もない僕からしたら、なんなのそれって気がしないでもないですが、それでもなお、自分の母国である日本がこれからも存続していくためには新しい日本人たちが不可欠なのでしぶしぶ払いますけど、でもよくよく考えると、100年後、自分がいない世界がもし巨大隕石の衝突で滅んでたとしてもどうでもいいよ~んになりそうじゃないですか。にもかかわらず、知りもせんよその子供のために金をとられても、まあ仕方ねえなって思えるのは、どこかで自分が生きた世界、社会、国、街に存続していってほしいという気持ちがあるからで、そうであるならば、その金は日本に生まれてきて僕と同じように日本人で母国好き最高~ラブ!っていう子供たちのために使ってほしいわけであって、日本どうでもいいよ~ん勢に使うのはやめてほしいなあと思うわけです。僕は外資系で働いてもうすぐ10年経つんですけど、おそらく日本企業で働くのメインの多くの人々たちに比べると少しだけ日本の外のことにふれる機会が多いんですけど、ローカルであることって本当に大切なことだと思うんです。グローバル化は突き詰めていくと世界の画一化なわけですけれど、そんなの誰も望んでないですし、悠久の時を経て各国、各地域が育んできた文化をなくすなんてアホ過ぎるって誰にでもわかると思うんですが、ですので多様性とかインクルーシブとかなんか意識高いアホがいってますけど、ローカルであることこそが多様性でありインクルーシブであるので、アホの言ってることに踊らされたら良くないなあって思います。そのローカルであることの礎が新たにJoinしてくるメンバーであるわけです。中には人生の途中まで他所の国で育って途中から日本にJoinしてきて帰化し、日本人になる人もいるでしょうね。僕の前の職場にも某国から帰化した人がいました。超いい人でした。話がそれまくりましたが、少子化っていろんな理由があるんでしょうけれど、みんななーんも考えずにどうでもいいよ~んだったら子供はわりと生まれると思うんですよね。僕だって「そうだ子育てしてみてえな」つって適当にあんま所得高くない女性と結婚して子供授かって離婚して所得を盾に親権取って子育て経験満喫みたいなことできないわけではないけれど、そんなこと、できるわけねーだろがっていう倫理的な秩序があるがゆえにそういうことはしないわけです。で、この倫理的な線引は基本的に個々人に委ねられてるわけで、このラインを突破しても別にかまわんだろが、っていう人達はまあ、貧乏だろうが子の人生を縛ろうが同性愛者だろうが子どもを作るわけですね。悪いなんて言ってないですが、子ども作ったからには社会に文句言わずに自分らでなんとかしろよなということは言いたいですね。我慢の種類やラインは違えど、俺が我慢したことをお前らは我慢できなかったんだから自分で責任取れや、という気持ちはあるなあ、って思いました。

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