書き殴り日記
たまにはこう、書き殴り日記ではなくて何か有益そうなことを書いてみたいものですがままならないものですね。スーファミのドラゴンボールZ(超サイヤ伝説)で、ベジータを倒す時に元気玉を使わずに倒すかなんかするとバグってめちゃくちゃ強くなってナメック星に行ってキュイに負けてベジータか誰かが助けに来るイベントが起きずに詰むのですが、この事実を僕が発見したのは小学校の3年か4年生あたりだったと思うんですけど、周りにこのゲームやってる子どもいなかったし、そもそも当時僕はいじめられてたのでゲームの話するどころではなかったため、この世紀の大発見を世間に広めることはついになく、いま数十年の時を経て思い出してこうやってインターネットの海に精霊流ししたのでこれで成仏してほしいものです。
そう、僕小4あたりにけっこうクラス全員からいじめられてたんですけど、その後遺症で今でも精神的に少しでも追い詰められるとすごい汗をかいてしまうんですけど、まあでもいじめられたのは僕が先に無視したりしたから因果応報だったため、両方の心理が理解できていい勉強になった、って今では思うんですけど当時は自分が悪いのだから……で全部受け入れ風だったんですが(実際悪いからね)、それでももう学校行くの辛くて、親に行きたくないって言ったりしてたんですけど、けれどいじめられてる、とは言えなかったんですね、なんだか子供がいじめられっ子なんて、親に悪いなって思ったんですよ、何か知らんけど。子供は親にとっての誇らしいものでありたいって思ってたもんで、いじめられてるとは言えずに、ケンカしてる、くらいにしか言えなかったんですね。まあそんなんじゃ親は「仲良うせんばよ」くらいしか言うことないわけです。まさか自分の息子が靴隠されたり縄跳び捨てられたりクラス全員に無視されたりしてるとは思わないですからね。で、僕は当時の担任だった新卒男性教諭からもまあまあ嫌われてたのか知らんけど、あの、人権週間みたいなやつあるじゃないですか、作文書いたりするやつ。あれで、当時いじめに疲れ果ててた10歳当時の僕は(そうだ、自分が全部悪いということを作文に書いてしまえば贖罪になるのではないか)と思ったんですね、実際にはもっと平易な言葉で考えてましたけど。んで、自分はいじめをしました、とても悪いことだったと思います。ってなことを作文に書いたら、それを提出しますよね、そしたら担任に呼ばれて、これを皆の前で読みなさい、って言われたんですね、皆の前ってのはクラスじゃなくて全校生徒の前なんですね、というのも各学年から選ばれた子たちが(なぜか)給食の時間に全校放送で作文を読む、という慣わしがあったため、僕はその日給食を食べたかどうか覚えていませんが、放送室へ行きました。僕が読む前には前の子が、バスでおばあさんに席を譲ってあげた、みたいな子供らしいハートフルストーリーを話していました。んで、僕の番になったのでマイクの前に立ち、震える手で原稿用紙を持ちながら、いかに自分がひとをいじめた最低ゲス野郎だったかってことを読み上げたんですけど(自分がリアルタイムでいじめられてるにもかかわらず)、今思うとよく担任あれ読ませたなって感じなくらいハートフルからかけ離れてたんですけど、それで、読み終わった僕はやや清々しい気持ちで、贖罪されたと思って教室へ戻ったんですけど、それからも別にすぐにはいじめはなくなりませんでした。むしろ、それまで僕のことを知らなかった他学年の児童からもあいつがいじめやってるやつか、って言われるようになりました。家が近所で仲良くしてくれてた他学年の子ともやや距離ができました。でもその後、少し経って、いじめられなくなったんですよ。で、僕は(やっぱりきちんと自分が悪いことしたと認めて謝れば許してもらえるんだ)と思ったんですよね。世の中の美しさのようなものを実感したわけです。救いというか。けど、実は僕の様子があまりに変なので親が僕に内緒で学校に行ってたんですね。で、いじめてた子の親と先生と話し合いをして、いじめてた子はその子の親にこっぴどく叱られて、いじめは終わったんです。でも僕は自分が作文を書いて、読んで償ったから許されたのだと思ってたもんで、なにがきっかけか忘れたんですけど、親が行ったことを知って非常にショックを受けたんです。いじめられるような子供だと親に悪いと思って、いじめられてることすら隠してたのに、親は僕がいじめられてたことも知ってたし自分が読んだ作文は何の意味もなかったことがわかってとてもショックでした。もちろん親の立場からすれば自分の子供の様子が変になってご飯を食べなくなったり痩せたり学校に行きたくないと言い出したりすれば、心配になるのは当然なので、別に親は悪くないし、今となっては親の愛情に感謝するばかりです。ただ、結局きれいごとってのは子供の世界ですら通用しないもんだなって僕は思ったんですよね。結局力でねじ伏せざるを得ないこともあるんだということを学んだんです。で、何が言いたいかって言うと、こないだ、8月31日の夜にEテレで番組やってたんです。視ました?夏休みが終わる時期、子供たちの自殺が増えるそうですね。それを少しでも防止するための番組という企画だったのでしょうけれど、なんか暗いんですよね、なんていうか、わざと?ってくらい鬱さを助長する番組作りなんですよ。中二病のポエマーズのポエム読み上げてゲストの女が泣く、あるいは中二丸出しの鬱っぽい歌を顔も出さずに影で歌う人の唄をきいてゲストの女が泣く、みたいな番組で、こんなのなんの意味があんだと首を傾げて360°回転してしまいましたが、ほんとに追い詰められてる人間にあんな番組みせたいのかって思うし、思春期のポエム読みは人類の多くが罹患する流行病のようなものなので、そのポエム読みと、ほんとにいじめられたりして苦しんでる子をひとくくりにしちゃうような番組は意味ないどころか有害だなって思いました。こういった、声のでかい自称当事者みたいなのが耳障りのよいこと(うけそうなこと)を喜々として発表する茶番やることで、本当に苦しんでる子たちまで甘え、とか中二病のそしりを受けるでしょう。わかった、1000歩譲ってポエム読んでる子もほんとうに苦しんでるとしよう、いじめにも苦しんでるけど中二病にも苦しんでるというのは有り得ることだ。けどあの鬱な歌流して負のエンカレッジすることになんの意味があるんだ。子供に寄り添った風の大人の自己満番組で非常に上辺だけの底の浅い企画だなと思いましたね。きれいごと言ってても仕方ない。よく言われることですけど、ほんとに苦しんでる子には、頑張れとか言わずに、明日休もうキャンペーンすればいいのに。副作用として中二バカが乗っかってくる可能性はありますけど、ほんとに苦しんでる子が救われればそれでいいですよね。明日学校行かなくてもまじで全然人生に支障ないし学校辞めても退学しても世界の終わりじゃないのでとりあえず明日学校行かなくてもいいけど、かといってずっと家にいたらそれはそれで人生詰むから、適度に外に出て気が合う人間と交流して自分が得意そうなこと伸ばしてってみたらどうかな、とりあえず明日休んでいいよ、って言えばいいのになって思ったのでブログに書きました。まあ月並みな結論でおそまつですけれど。あと大人からしたら中二病は昔来た道なのだから中二病かほんとに苦し出るかは大体わかるし、中二病におもねる番組やめろよ、と思いました。
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