梅の香りがいい香り
実家の庭の梅の花が咲いていていい匂いです。今日は法要でした。この何事もわりと均一化されてきている日本において、冠婚葬祭、それも葬のあたりは地域色が強く残っていているなと感じます。結婚とかは、ゼクシィとかありますし商売としてグイグイとウェブなんかで商売っ気出してる感じありますけど、葬あたりは地域密着な感じしますね。同じ仏教でも宗派でいろいろ違ったりしますしキリスト教だったらまた違ったりして、こういう昔からの各地の葬儀や法要の作法ってなんか民俗学的な興味深いなにかがあったりしそうだな、ってことをお坊さんの読経の間ずーっと、ずーーっと考えてました。なぜならうちが檀家?になってる?お寺のお坊さん、めちゃくちゃお経が長いんです。今回は椅子の部屋が取れなくて、座敷だったので、座布団に正座というスタイルだったんですけど、本当にもう痺れというステージを超えて、壊死してしまうのではないかという恐怖を覚えるほどの痛みがすごくて、お坊さんのお経には一定のタイミングで「なんまんだーぶなんまんだーぶ」って繰り返すなんまんだぶタイムがあるんですけど、そのなんまんタイムが2回来て、さらに1回目と2回目の間がいつもよりも長めだったので(今日は2回目長めにやっちゃうスタイルできたな)って思ってこれで終いだと思ってたらまさかの別のお経の本取り出して開いたので、期待してた分(フェイントだったー!)ってなって、足の痛みもいっそう激しさを増してまいりました。んで、なんとか頑張って頑張って耐えたんですけど、さらに数度のなんまんタイムを経てやっとお経が終わって、お坊さんが「お疲れさまでした」つって後ろを向いたんですけど、おもむろに「まあ、せっかく皆さんお集まりですから法話でも」つってそのまま法話タイムに突入したんです。一応「足崩していただいていいです」って言われたんですけど、最前列の一親等としてはさすがにあぐらをかくわけにもいかず、かといってお姉さん座り(ってうちの地方では幼少時に言ってたけど本来の名称は知らない)を男がするわけにもいかず、延長戦の狼煙が上がったわけですが、親鸞聖人(浄土真宗なので)の話から始まって法然上人が絡んできて聖徳太子が絡んできてどこまで話膨らんでいくのってくらい話がそれて何の話だったかわからなくなったし正直痛みがすごすぎてもはや話に集中できなくなって、結局最後は「人生感謝して生きていきましょう」ってあっさ!あっさいまとめ!聖徳太子必要だった?てなりました。じゃあ最初からそう言ってくれよもしくは休憩挟んでくれよと思いました。そんなこんなでそのあとは食事をとって滞りなく一連の催しは完了しました。食事の時、僕は完全にやる気がなかったのですが、なんていうんですかね、仕事の相手、とかくらい関係性離れたら割り切ってコミュニケーションとれるんですけど、幼少時から知ってるけっこう年上のいとこ、とかってすごい会話が続かないんです。もともと仲良くないし、かといって険悪なわけでもないし、いいひとで、僕を年少扱いしてくれるんですけど、まじで会話が続かなくて、本日隣同士に座ってたんですけど、「ヨーロッパに行くにはヘルシンキ経由が一番近い」って話をしてて、向こうからすると「へえー一回わざわざ北に行ってもどるとたい」(好意的な『なるほどー』って感じのテンションで)って言うから「いやいや地球丸いから、一回戻ったりせずにそのままショートカットする感じで」って言うと「いやでも地図で言ったら一度もどるやろ?」って言われて「いや地図っていうか地球儀?」って言ったら「ああ地図やったら戻るけど地球儀なら近いってことか」って言われて「いやでも地球は丸いやろ?」ってなって、まったく理解してもらえなかったのですが、最終的に年長者を立ててうまいこと自分の意見を曲げました。むずかしいですね。
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