今週は出張先で最高に優しいドラマを見た
2018/03/16
出張先におります。福岡に。社用のMacBookproか社用のiPhoneか自分のスマホしかないので、さすがに社用のものでゲイ日記書いたらどうかと思うのでスマホで書いてるんですけど、フリック入力に世代的限界を感じております。さらに、いつもと違って録画確認しながらセリフ確認できないので、ざっくりです。
なんか、びっくりするくらいわたさくの風呂シーンを静けさと共にみてしまって、何て言うか、もうあれはプロポーズで、朔ちゃんからのプロポーズで、「死ぬまで一緒だからね」的なことを言ったあと「…迷惑?」って聞いちゃうとこ、そのあとのわたるんの反応、なんか風呂とかエロとか超越したロマンシング空間があって、もちろん風呂は尊いし、エロも尊いんだけど、予告ではまさかそのシチュエーションの上にこんなにロマンシングなことが築かれているなんて、想像もしてなくて、あらためて毎回想像を遥かに越えるものを出してくるこのドラマの製作陣の素晴らしさに脱帽したのです。
深雪、つかなんでスマホなのに登場人物の、名前が予測変換に入っているのか、まあそれは置いといて、深雪が謝るシーンは、となかぞにはめずらしくちょっと説教くさかったんですけど、これは言っとかないといけないねっていうこと、もしあと5話あったらストーリーの流れにのせて描写できたかもしれない大切なことを、登場人物それぞれが端的に話す、舞台みたいだなと思いました。でも脚本家はこれはどうしても伝えたかったのだなと思いましたし、伝えてくれてありがたいと思いました。
話が前後するけど、病院でのシーンはわたさくの民としてはもちろん最高だったわけですが、ゆかもかのセリフなどにも上記と同じ脚本家の焦りというか想いを感じました。
相手の立場に立って考えるという一見シンプルだけど難しいことをときほどいて楽しさや優しさや愛でデコレーションして描いてくれているこのドラマが、もっとたくさんの人に見てもらえたら。顔を合わせて親にカミングアウトできないんだけど、このドラマをもし親が見ていてくれたら、言葉はなくともこのドラマでわかってもらえることがきっとあるんだろうなと思います。
不妊治療も、そのあとの流産も、おそらく世の中では少なくない人が経験していて、話が進むにつれて、となかぞの家族たちが愛しくて仕方がなくなってきた視聴者は、できればもう奈々さんや大器さんが悲しみ傷つくのを見たくないのだけど、そこで安易に悲しい出来事を避けてしまうことで"その立場"にいる人を取り残さない、脚本家の意思を感じます。視聴者もそれについて行ってる気がします。その立場の人も例えばゲイの僕のように、このドラマで救われるかもしれないし、出来る限りの現実的な描写と、美しい物語のバランスをとって作られているドラマが僕はとても優しいと今日は思いました。福岡のホテルで。
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