Augustsky

40代ゲイが日々のことを書き綴るブログ

一般

脈絡なく書きたいようにかく酔っ払ってるので

こんばんは、日が沈んだのでこんばんはです。日が沈む前にワイン1本のみ切りチャレンジしてたんですけどまだ少し残ってるのでチャレンジ失敗、チャレンジ1年生です。このブログは僕がサーバー代を毎月支払っているので好き放題書きます。てかwordpressでのサイト構築みたいなのならペロペロペローってできるけどセキュリティとかメンテナンスメンディーから副業でやるよんみたいなことできない石橋を叩いて叩き壊す思考の僕だから赤貧なんだと思うんですけどみなさんサタデーイブニング、いかがお過ごしですか。僕は酩酊して地元の近しき者たちしかし今皆バラバラで各々の人生を送ってるグループラインにUFOキャッチャーのBGMの動画を投下して来ました。これ同じ世代だとわかるのかそれとも地域差がデカいのかわかんないけどUFOキャッチャーのさ、BGM、心にくることない?スーパーとかにさUFOキャッチャーが置かれててさ、ずっとBGM流れてるの。僕メガドライブ通ってないので知らんかったけどソニックのステージ音楽らしいね。あれきくとキューーーーンってなる人おらんかなおったら酒飲もうで。そんでサタデーナイトなので好き放題書くんですけどまあいつも好き放題書いてるんですけどなぜなら僕はタイピングができるからです。ありがとうタイピングをそこはかとなく体得してくれた若かりし頃の自分。そうね、今日はどがん話しばするとがよかですかね。そうね、てかまじでさ長崎県北部から出てきてTYOで生きてるっていうのはまじで稀有なことなんですよね。本日は自己全肯定ほめそやしでまいりますけれども、まずJR通ってないし第三セクターの鉄道の行き先が佐世保か伊万里でしかないわけ。この絶望感ってまじでわからんと思うわけ。関東の人間ズの電車に乗っときゃTYOにつながるみたいなことは当然ながら、大都市へのアクセスがある人間たちはもう全員田舎名乗るの禁止なわけ。ポンキッキで都内の幼稚園のみんながでてくるCM入る前の一種の映像みたいなのをみて幼児ながらに絶望した人間だけが田舎を語っていいわけ。てか僕はまじで運がいいのでサンクス神様サンクス仏様なんだけどやっぱり一番のサンクスは母親なんですよね。母はガチ苦労人なんですけど5歳で父親を亡くして僕よりもさらに超絶田舎の島で生まれ育ってガチ貧困で一時期は塩を買うお金すらなくて母の長兄が人目を忍び夜に一升瓶を手に海に海水汲みにいったことがあるような環境で生まれ育ち、中学校では皆が着る制服を買うお金がなくて少し違う二等の制服を着て過ごしそれでも高校進学率がかなり低い世代でさらに島である中で女性でありながら貧困でお金がないなか奨学金制度を調べ(ネットなんてないからね)祖母に頼み込んでやっと島の高校の分校にいって大学を目指して勉強したけどあまりのリソース不足で(現在の僕の視点からして不利すぎる)さらには団塊の世代で倍率エグすぎるうえでの国立しばり(私立に行くお金ないから)で受験して夢破れて、それでも高卒の資格で町役場でアルバイトの職を得てから正規職員の試験をうけて合格しその後38年にわたって働き続けあの世代でド田舎では女性の課長なんて無理ゲーの中でそのポジションをゲットして夫は田舎で家が一つ建つくらいの借金を残して蒸発し(当時兄14歳僕9歳)その後好き勝手に生きてはたまに帰ってくるけど子どものために離婚を耐えて僕と兄を一人で育て上げ田舎で町役場の仕事をぶん投げて蒸発した夫(母とは別の町役場で働いていた)の後始末と謝罪をしつつ隣の町役場で働いていたから珍しい苗字だから夫の不始末を当然皆が知っているなか肩身の狭い思いをしながらも僕にピアノを習わせたり英語を学ぶ機会を与えてくれたり大学まで行かせてくれるだけのことをしてくれて、子供の頃は他の子と同じように誕生日にゲームを買ってくれるみたいなことをしてくれて今僕がおっさんになって思うのはこんなことできるのすごすぎるということなんですよね。だからこそ僕は自分が本当に運が良かったと思うし恵まれてたと思うし母を尊敬しているわけだけど、僕も別にスイスイーって生きてきたわけではなくまあそれなりにキチガイだったんですけどまあそうね、ゲイであることはかなりキチガイに資することではあったとは思うけど特に僕の世代でド田舎においては病み要素としては十二分だったけどまあでもそれは言い訳の範囲内だけどキチガイだったので高校中退してるし通信制高校しか出てないけどなんか大学にも行って、護送船団予備校完備勢とは全然シチュエーションが違う状況からいったこと自体はまあ頑張ったねって感じではあるけど忘れもしない、第一志望たちに落ちてB日程を一人で受けるために1000kmを一人でやってきて田舎ボーイが心細いなか試験を受けて帰ってそのあとしばらくして郵便やさんがきて僕が出て封筒受け取ってなんじゃらほいって思って開けたら合格通知が入ってて、走って2階で洗濯物干してた母のところに行って「受かった!!」って言った時の母の心の底から嬉しそうな顔と、握手をもとめてきたこと(ハグとかではないのが母らしい)は、母がなし得なかった大学に行くということを息子がなし得たということで母にとってもきっと一つの達成だったはずなんですよね。僕の父方の親戚では大学に行った人間僕しか少なくとも4親等以内ではいないんですけど、母方はいるんですよね、てかいとこが医学部いって医者になってるのが二人いるとかそんな感じなんですけど年齢的には15歳くらい上ですし会ったことも話したこともないですけど、でもこのいとこの父である伯父は母とは全然状況が違って祖父が普通に生きてて炭鉱でガンガン稼いでて大学にも行かせてもらって(長兄である別の伯父は愛知に出稼ぎにいったのに)みたいなチートしてたと言わざるをえないポジションなので、教育への投資がそもそも親世代から違って、なので医者になってるいとこたちはそもそもスタートラインが違うわけで同じいとこであってもこれだけ差が出るわけですけど、結局スタートラインの違いってめちゃくちゃでかくて、首都圏で生まれ育つというのは計り知れないアドバンテージだし、首都圏でなくとも大阪であっても他の大都市圏であってもアドバンテージはすごいんですよね。僕が何を言おうとしてるかといえば、ド田舎から出てきて勝ち上がるのはすごく大変だから僕は頑張ったんだという自画自賛みたいなことになってしまうことは否めないわけですが、まあでも僕はそれ普通に事実であると思ってるし現実であると思ってるのでなんらおかしいことではないわけですが、地方から、田舎から、泥水すすってきた人々への礼賛なんです。僕と同じような人たちへの。もちろんTYOや大阪や大都市圏で生まれ育ったけど親から見放されて苦労なすった人々があればその方たちへも礼賛をお送りしたい所存なんです。ようは、僕は実家ごんぶと護送船団勢に対して一定の軽蔑をぬぐいきれないわけです。まあその人たちも好き好んで実家ごんぶとに生まれ育ったわけではないわけではないので、そこ一点で軽蔑と言うよりは、そのアドバンテージを加味せず志半ばでやむなく希望を諦めてしまった人々とかに対する上から目線の言動に対して軽蔑をしているわけです。僕の前職はそれこそ実家ごんぶと蝶よ花よの東大京大海外大帰国子女みたいな人間たちが跋扈しておったんですけど、あいつらの自分たちの恵まれた立場へ無頓着さと泥水すすり勢へのディスリスペクトは許し難きところがあり、だから僕は蝶よ花よ勢だーいきらいなんですね。もちろん蝶よ花よ勢でも自分は恵まれてるという自覚がある人はいますし泥水すすり勢でも世の中への恨みつらみと呪詛他責みたいな人間はいるので一概にはいえないところはあるんですけどね。おじなので同じ話を何度でもするのですけど別に僕のブログ逐一覚えてる人なんて地球上に存在しないので続けますけど、僕は中学不登校してて高校受験進学校に落ちて十把一絡げ私立高校(田舎はそうです)に入っていやすぎて不登校で退学して翌年通信制高校に入り直してぼーっとすごして中卒の友達と遊んだり宅録してデモテープ作って送りまくったり佐世保のレコード屋に持ち込んでコンピレーションCDに参加させてもらったりして3年の時にお前ら通信制の就職の世話はしね―からハロワいけって学校に言われてあせって高3の夏明けから受験勉強して偏差値がなんなのかもしらない時点から独学でアマゾンで参考書買って予備校行くお金なんてないから独学して第一志望落ちて第二志望もA日程落ちて、でも第二志望のB日程もワンチャン親に頼んで受けさせてもらってA日程は福岡で試験あったけどB日程は大学まで一人で行って受験して受かって行くことになって卒業して新卒での就職失敗して地獄みたいな成田で2年弱働いて、でもいやすぎてやめてグラフィックデザインの勉強するために美大行きたくてでもタマビの夜間部の上野毛の学校説明会とかにも早番(6:00-13:00+残業)をおえて眠い目をこすって成田から上野毛まで電車で行って夜の説明会聴いてまた家がある八千代まで帰ってきて次の日も早番で仕事してでも学費が想像の5億倍高くてむりってなって、でももう無理だから仕事はやめて、で西馬込の崩れそうなマンションに引っ越して家賃は58000円でそこで渋谷の名門ぽいデザイン専門に行こうと思って試験に行ったけどみんな美術予備校とかいってる勢で平面構成の試験でみんながペーパーセメント持ってきてるのにも僕はヤマト糊もってきててそんなの持ち物に書いてなかったし普通に落ちて終わったってなってたところで大学時代の友人(いまでは疎遠)とご飯食べててもうむりぽって話したら、いや、デザインやりたいんなら別の学校探してもなにがなんでもやれよっていわれて目が覚めて別のグラフィックデザインの専門の試験うけて受かって夜間部で2年間通いながら日中は社内報の会社でアルバイトしてこの授業が本当に楽しくて内容も楽しいしクラスがみんな仲良しで親友と呼べる友達にも出会えて、そんで卒業して、社内報の会社にライターとして入らないかっていってもらったけど、デザインやりたいのでつって固辞して、ハロワいって職探して、社内報の会社の元デザイナー現営業の人からは、「おまえここで就職できるのに断ってでもデザインいくのまじでかっけーよ!」って言われて、駒場東大前のマンションの一室のブラックデザイン事務所に就職したけどアドビはヤフオク海賊版をキージェンで動かすみたいなところからやらされてやばすぎたけどここで頭のおかしい上司に睨まれながらhtmlもcssも先輩のアフロあたまの女性から盗んでインデザインでのカタログ作りもラグジュアリーファッション系商社があつかってた高級な服とかの物撮りも参加してレタッチは僕がゴリゴリやって北欧のファブリック会社のウェブサイト管理したり某ポータルサイト大大手の企画で某最大手テーマパークのハロウィーンのページのデザインとフラッシュ(なつかし)実装とかもやって結局フラッシュでなんだっけなとかスクリプトがうごいてなくてそれで統計取れてなくて僕は殺されたんだけど、まあ息を吹き返して労働環境やばすぎて辞めたけどやめる時に仙人みたいなふだんかかわりない青山の別の事務所に一人いてマルチとか宗教のイベント運営で稼いでる名目上の社長に挨拶に行けって言われていったらまあ座りなさいっていわれて君はここに10か月しか居なかったかもだけど5年分くらい経験積んだね、仕事は時間じゃない深さだみたいなことを仙人にいわれて、はあそうですかつって帰ったけど今なら仙人のいってたことが痛いほどわかる前職での6年を振り返るとって感じだけどそのあとWebデザインの会社にWebデザイナーとして職を得たけどほどなくウェブデザイナーなのに某最大手広告会社のグループ会社に居座り営業させられにいかされて最初はキチガイみたいな感じで遠巻きにみられてたけど次第に暇なやつおるなってことで仕事もらえるようになってこいつやるじゃんみたいなかんじ終いにはデスクも名刺も用意してもらったけど結局僕の元の雇い主の会社が僕の能力を盛ってこの某最大手広告会社子会社に売り込んだせいで期待値のギャップから僕がゴン詰めされることになりしまいには某最大手広告会社子会社での上司から某最大手新興宗教に勧誘されてもうむりぽってなって辞めてもう終わりだってなりつつ前々職の外資に応募して職をえて外資系生活を始めて5年半働きその後前職に行き6年働いてから次いくところは年収が前職の1.5倍になったことをかんがえると、まあ多少頑張ってる感じはしないでもないですね、遠回りしてしまったけど。とにかくスーパード田舎から日本の中心にきて生きていくことは人々が想像している以上にとても大変なことなのでド田舎から出てきてTYOで頑張ってる皆に乾杯!!!皆すばらしいし頑張ってるのでそういう人がこれ読んでたらまじで飲みにいこう。俺らだからこそわかる苦労がたくさんあるからね。

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