40代が目の前なんだが
こんにちは、午後から晴れる予報だったのにずっと曇天でした。曇天って言葉ですが、吉澤嘉代子の曇天って曲がいいですから曇天時には聴いたりします。寒かったんですけど散歩してきました。僕は散歩している間ずーっと考え事してるんですけど、家に黙って座っててもこんなに考えがめぐらないので散歩するのは頭がカロリーを消費してくれて良いなと思います。ところで僕年明けてから毎週誰かしらと飲んでることに気づいたんですけど、思ったより社交的生活を送っているなと思いました。飲んだ人々は同世代から同干支一回り下、約20歳下、みたいな感じでわりとばらけてました。やはりいろんな人々の話を聞いて、話すのはよいです。ただ、たまにふと(あれ、これ誰と話したんだっけ?)みたいなことを思ったりします。よく憶えていないからです。僕もうそろそろ30代から脱退するんですけど40代に加入するにあたって、ちょっと振り返ってみたんですが、20代はしっちゃかめっちゃかで一寸先は闇みたいな感じで、人生に振り回されっぱなしで目回る、みたいな感じだったんですけど30代はわりと安定しており、人生の手綱をやっと見つけてつかみ、少し制御しつつ、会社員としてまあまあ地に足つけて働いてきたなって感じがしたんです。ただ、身内で人が次から次にこの世を去っていったので、10年でなにもかも変わってしまうなあっていう諸行無常さが身にしみる時期ではありました。だって10年前の今日はみんな生きてたし。で、40代はどうしましょ、って思いまして、まあ自分でコントロールできるかできないかは置いといてもなんかこう、自分なりになんかしら決めといたほうがぼけっとするよりいいのではと思い、散歩しながら考えてたんですけど、なんかこう、もっと自分の人生に積極的に関与してったほうがいいなって思いました。わりと僕は自分の人生を他人事で捉えてるとこあるとうか、どうでもいいよ~んみたいな妥協をすぐするので、そうではなくて自分が欲しい物とか成し遂げたいこととかそういうのはちゃんとつかむために自分を律して欲望に忠実に積極的な姿勢で生きたほうがいい気がするなって思いました。なんかこう年配的人々に聞くと40代まじで一瞬だった、とか一番充実してた、とかそういうの聞くんですけど、ただそれって子育てしてるかしてないかとかも関係してきそうではあるんですが、とりあえず40代ピーク感あるなと思ったんですよね。20代30代で助走してきてジャンプする的な。なので僕も40代になることを老いと感じてメソメソ毎晩泣き濡れるばかりではなく、それなりに目標立てていいことあるようにしたいな~って思って散歩を終えたんですけど、こういうもや~っとしてることを散歩中に考え事することで言語化できることが散歩のすばらしさというか、僕にとっての思考整理の方法が散歩なんだと思うので、散歩好きなんですよね。こないだマブと話したときに、マブが「自分は話をすることが好きなんだと思ってたが、どうやらそうではなく言語化してアウトプットすることが好きなんだと気づいた」みたいなこと言ってて、確かに僕もそうだなと思いつつ、ただ言語化するにはそれなりに高い言語能力が求められるわけで、例えば僕が日本語で考えて言語化しつつ思考を整理していることを英語でやろうとしたらかなり限界があるというか、同じ粒度で考えを突き詰めたり、積み上げたり減らしたりすることはできないと思うんです。なので、母国語でこうやって考えることができるだけの言語能力を得られたのはラッキーだったなと思いました。義務教育ありがとう。
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