Augustsky

30代ゲイが日々のことを書き綴るブログ

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君の名前で僕を呼んでを見た

2018/05/01

ネタバレあり〼。

映画って、作ってる人はプロだし、おそらく映画が好きだし、映画にまつわるさまざまなテクニックを知っていると思うので、正直いろんなメタファーが込められているんだと思うんですけど、基本的に僕はぼけーっと見てしまうので後から人に言われて「あ!あれそういう意味!」ってなることが多いのですが、ゲイ映画に関しては画面のすべてを吸い尽くす勢いで前のめりに見ますので、わりとそういったメタファーのようなものにも(こういう意味かなあ…)と思いをはせることができます。そしてこの映画でもいろんなことを考えさせられました。ていうかわりとそういう暗喩がはっきりしてた気がします。

あらすじ的には、フランス語と英語とイタリア語を操るユダヤ教徒のおそらく金持ちの一家のイタリアの別荘らしきところに父親の学者仕事仲間のオリヴァー(24歳)が数週間滞在することになりそこの家のエリオ(17歳)とお互い好きになっちゃう、って話です。

さて、まずこの映画は登場人物がみんな優しいです。魚とってきた脇役のじいさんですらやさしさに包まれています。テーブルで口論してたモブ2名とダンスパーティーの取り巻きは優しいかどうかわかりかねましたが、それ以外の人はすべてが優しい。水を1杯くれたおばあさんですらも。エリオの両親はエリオがゲイであることを受け入れたうえでさらに7歳上の社会人との関係を暖かく見守ってくれる最高の両親です。

んで、エリオがオリヴァーに対する悶々とした気持ちをうまくコントロールできずにいたとき、マルシアとくっつこうとするんですけど、それを父親とかオリヴァーの前で「昨日もうちょっとでやれそうだった」みたいなことを言ったりするシーンがあって、映画を最後までみたらあの時の父親はどう感じてたんだろうと思うんですけど、というか両親はどの時点でエリオがどうやらゲイだと気づいていたんだろうということなんですが、もしオリヴァーが来る前からうすうすわかってたんだとしたら、あのシーンのような何気ないシーンで、エリオが自分がゲイではないと振る舞おうとする健気さと痛々しさを父親は感じたかもしれないですね。オリヴァーは(なんだよやっぱノンケかよ…)とがっかりしてたことと思います。で、結局エリオはオリヴァーに対する自分の気持ちが確信に変わっていくのを自覚していくんですけど、それでもオリヴァーはまだ及び腰で、エリオと距離を保とうとするので、なかばヤケになってマルシアとやりまくるんですが、結局オリヴァーと結ばれます。その後、ほったらかしにされたマルシアはエリオを訪ねてきて「私はあなたの彼女?」って聞くんですけど、その時エリオはオリヴァーと結ばれた直後で、すでにオリヴァーへの気持ちが確信になっていたので、マルシアの問いに対して、それを肯定できずに、マルシアは傷ついて去っていくんですが、本当にエリオひどいやつだなという気持ちもあるんですけど、でも10代の少年のゲイだけど恋はかなわないし女と結ばれてみたほうがいいかもしんないしっていうことがごちゃまぜになったらああいうことになる確率150%あるなって思うんで、エリオにも同情はするんです。けれどマルシアあまりにもかわいそうですよね、なので本当にマルシアかわいそうだと思ってたら、最後マルシアはエリオのところへきて、「友達でいてくれる?」っていうんです。エリオが「一生?」って聞くと「一生」っていうんです。最高にやさしいというか、性格がよくて素晴らしい女性だと思います。で、映画の最後オリヴァーは婚約したという知らせをしてきて、エリオはそのことで傷ついて暖炉の前で3分30秒ノーカットで悲しみ、泣くんですが、でもマルシアだってエリオにひどいフラれ方をした後相当泣いてただろうよと思って、描かれないけれど登場人物がそうだったんだろうなって思うくらいに、映画のさまざまなところに思いをはせるようなことができるような、丁寧かつ、余裕というか余白というかそういうのをもたせた映画でした。

オリヴァーは途中までエリオに対してわりとそっけなくて、大人の男性感あふれる描かれ方がされていて、一度キスしたあとも用心深くエリオとの関係を慎重に見定めていたんですけど、一度結ばれた後の朝、突然人間らしくなるんですよね。朝起きてエリオがおもむろにベッドから出たときのオリヴァーの表情が(あれ…やっぱ気が変わっちゃった…?)みたいな感じで、経験があるがゆえの敏感さみたいなものを感じさせて、若いエリオは別にそんなつもりはなくただ経験のなさゆえの鈍感さで「泳ぎに行こう」っていうんですけど、この瞬間それまでオリヴァーに対してエリオが思いをはせていて、オリヴァーはそっけない、もしくは及び腰だった関係から、エリオに主導権が移ったような感じで、一気にオリヴァーもエリオのことを好きだったということがわかる表情の変化があって、この後はしばらくオリヴァーがエリオの心変わりを怖れるような雰囲気が続くんですけど、17歳のエリオの若さゆえの感情のあれこれが描かれる一方で、オリヴァーを見ていると、成人してても年上でも、恋愛になった以上は不安な気持ちとかあるっていうのがにじみ出ててそういう感情の移り変わりに伴う人間らしさが出てくるのがとてもよく描かれていて素晴らしかったです。

ある夜、「なんで言ってくれなかったの?何日間も無駄にしたよ」ってエリオがオリヴァーに言うシーンがあるんですけど、オリヴァーとしてはビーチバレーの時に肩をもんだのがそのサインだったところ、エリオが体を避けたから距離を保とうと思った、って言ってて、なんかこうゲイ同士ってまずこのなんていうの、「プレ恋愛」っていうか、相手がゲイかどうかってところから確かめる必要があるのでほんとにそれめんどくせーよなって思いましたし、男女だったら別に好きだったら好きって意思表示するところから始められるのにめんどくせーよな、って思いましたし思いました。

オリヴァーの滞在が終わるころ、数日間別の場所へ寄ってから帰ることになって、エリオの両親は2人で話をしてその滞在にエリオを同行させるようにするんです。エリオの両親はエリオとオリヴァーの関係をわかっていてそう仕向けるので最高に理解のある優しい両親なんです。数日間を2人きりで過ごしたあと、列車に乗るオリヴァーを見送るエリオのシーン、抱きしめ合って、少し離れて、でもエリオが離れがたそうにしてまたもう一回お互い抱きしめあって、その後はもう言葉にならない感じでお互い何も言わずに、オリヴァーは列車に乗り込むんですけど、ここもすごくぐっときて、ああいうときになんて言葉を発すればよいのか、駅で別れのキスができるわけでもないあの2人の境遇では、あのタイミングででる言葉なんて何を言っても感情を言い表せないでしょうなと思って、無言になるわと思いました。

見送った後しばらく駅で呆然としてたであろうエリオは母親に迎えに来てもらうんですけど、道中泣いてる息子を母は優しくなぐさめていて、もう完全に息子とオリヴァーのことをわかったやさしさなんです。そんで、帰ってきた息子を父親が優しく迎えて二人で話をするシーンがあります。ここで父親が少しずつ語る言葉で、2人の関係を認める父親の発言から、2人のことをうらやましいと思う発言にかわり、そして実は自分もゲイであるとカミングアウトします。この徐々に、徐々にという描き方が彼の葛藤を表現していると思うんですけど、自分の息子を最大に認めて励ますこととして自分もそうであった、しかし世間や自分の価値観で息子のように自分に正直に生きてこられなかったことを語ります。彼らがユダヤ教徒であるというのも関係しているのかもしれませんが、結局オリヴァーも女性と婚約をしてしまうので、舞台設定である1980年代前半というのはまだそういう価値観の時代だったのかもしれません。

なんかまとまりのない感想になってしまいましたが、映画はとても無駄がなく、余裕があって、人間らしさに溢れていたのでとても素晴らしかったです。アカデミー賞をとるにはバッドエンドじゃないといけないという噂で、ラ・ラ・ランドの時はわりと強引にそっちに持ってったことに激しくムカつきましたけれど、この作品はハッピーエンドではないものの、ぜんぜん強引じゃないし、そらそうだよねだし、とてもよい余韻でした。

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